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2008年12月の5件の記事

2008年12月18日 (木)

最近みたDVD、読んだ本など

最近見たDVD

『HEROES シーズン2』
見始めたらとまらなくなって、一気見。しかしこの中途半端な終わり方は…。来年春までシーズン3を待たねばならないとは。

『ヤマカシ』
ストーリーは非常に陳腐だが、登場人物がスタントではなく壁を登ったり回転したりする身体能力を見ているだけで気持ちよかった。またトランポリンをやりたくなった。

まだ見てないけど、映画『誰も守ってくれない』はおもしろいのだろうか。
http://www.dare-mamo.jp/
テーマには惹かれるけど。

最近読んだ本

『だまされることの責任』(佐高信×魚住昭、角川文庫)
本屋でたまたま手にした本だけど、すごくおもしろかった。
感想をじっくり書いてみたい気分だが、時間がないから、また機会があったらじっくりと。

『不可能性の時代』(大澤真幸、岩波書店)
いろいろ感じたこともあるが、時間があったらまた書いてみる。
一点だけ言えるのは、性虐待の「過誤記憶」について、この人の論の根拠になっている情報は誤っている。
二次情報をもとにこういう論を展開されるのは少し困る。

他に、
『いじめるな! ― 弱い者いじめ社会ニッポン』(香山リカ×辛淑玉、角川書店 )
『「お金」崩壊』(青木秀和、集英社新書)
なども今読んでいる。
辛淑玉の本を読んでいると、いつも元気が出てくる。

ブログ書いている余裕がないんだけど、思わず書いた。

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2008年12月12日 (金)

感情移入

勝手に感情移入する自分のくせが、また始まっている。
連続しておこっている殺人事件だとか、派遣社員のこととか、いろんな人に感情移入が自動的に始まって自分で自分がうまくコントロールできない。
突然解雇されたりした人はどうやってこのあと生活するのだろうとか、だいじょうぶだろうか、とか、でも今の自分にできることがわからない。

経済学者の話を聞きにいったり、市民運動をやっている人の話を聞いたり、いろんな人の話を聞きに行っている。きょうは企業側というか、企業の側にいる人たちで社会をよくしたいと考えている人たちの話を聞きにいった。三本じめとか久しぶりにやったよ。市民運動系とかセルフヘルプグループ系とかにいると、三本じめとか一本じめなんてやらないものなぁ…。
フェミニズム、当事者グループ、畑系、セクシャルマイノリティ、心理学、スピリチュアル、…などなど、いろんな人の話を聞いてまわった。
みんなそれぞれの立場で、まったく異なる視点で考え行動している。

雇用を創出するだけの仕事を増やしてもだめだということはなんとなく言えるかもしれない。自分の仕事の成果が目に見えるような形で、小さな仕組みの中で、本当に生きるための実体経済を再生させなければ、紙切れの金を得るための実体のない労働でまわしていってもどこかで破綻する。
生きるための最低限のものを、国や企業に委ねるのではなく自分達でつくっていくことはできないかと夢想している。
仕事が歓びとなるような仕組みをつくっていかなければ…。
でも一方で、働けない人もいるわけで、そういう人だって生きていける仕組み。
現にいま困窮している人のことを考えつつ(上から目線ではなく)、大きな枠組みのなかで考えること。
今現に困っている人に何ができるのかよくわからない。

でも、自分のことでいっぱいいっぱいの人は、まず自分のことをなんとかすることでOKなんだと私は思う。
市民運動系の人で、メンタル系の人とか、癒し系の人とかを自分の救済や癒されることしか考えていないと言う人もいるが、社会の枠組みでものごとをとらえているから自分のほうがえらいと思うのも違うように私は感じる。

あー、わかんない。わかんない。どこに行ってもなじめないような感覚と、自分には何もできないという無力感と、何も考えず自分のことだけ考えていたいという気分と、自分は恵まれているという罪悪感がぐるぐるまわって、交感神経優位になってやたら興奮し、寝る前に睡眠導入剤を飲む。
私ってなにもの?

感情移入をとめたくて、頭を切り換えようとして「ヒーローズ」のシーズン2を見始めたら、とまらなくなるし。
三谷幸喜の『笑いの大学』もついでに借りたら、すごくおもしろかった。
三谷幸喜はやっぱり天才だ。こういう闘い方もあるのかと思った。
自分の立ち位置でできることはある。既存の仕組みにノーを言うのではなく、それをうまく解釈して、いい方に変えていくこと。誰も傷つけない闘い方。
そういうのがありうるのだという可能性を、三谷幸喜は捨てていないのが、すごい。

こんな精神状態を続けていたら、まず自分自身がおかしくなる。正直、もう死んじゃいそう。
自分の心身のケアをきちんとせねば。
犬の世話もおろそかになりがち。最低限のことはやってるけど。老犬の一匹は失明したから、目が離せない。

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2008年12月 7日 (日)

メモ3

「農」「環境問題」を経済とのつながりの中で捉えなおすために、インド人のフェミニスト、ヴァンダナ・シヴァが書いた『生きる歓び イデオロギーとしての近代科学批判』(築地書館、2987円)が役に立つ。

以下、この本の「序」より少々抜粋。

「近代の科学と開発は、歴史的にも思想的にも、男性起源、西欧起源の企みであって、自然と全人類の絶滅をせまる家父長制イデオロギーの、もっとも新しく、残忍な表現である。」
「第1章では、…略…もっぱら利潤を追求するという西欧的家父長制経済の特殊な仮定が生存のための経済学の人間的な仮定を押しつぶして、どれほどエコロジーの荒廃に根ざす貧困の危機を深めているかを分析する。第2章では近代科学のいう中立性と普遍性がいかに虚構であるかについて述べる。
(中略)
第5章は食糧危機の分析である。この危機も自然資本を破壊し、食料の専門家であり生産者である女性を排除する男中心の農学と農業開発に根源がある。
……
……」

ヴァンダナ・シヴァは、私のあこがれの女性のひとり。
こういう本をきちんと読んでから、ロハスとか、エコとか言ってもらいたいもんだ。

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メモ2

きょう、森野栄一氏の話を聞いてきた。
森野さんの話は相変わらずすごくおもしろい。
(個人的に話をすると、単なるすけべなおじさんなんだけど。)

森野さんの提唱したコミュニティ通貨が矮小化して理解されていることが残念でならない。
森野さんはコミュニティ通貨を使って社会の「価値」を変え、社会の基本的な仕組みを変えようとしている(公正なシステムをつくろうとしている)わけだが、法定通貨の代わりとしてしかとらえられていないのがもったいない。

コミュニティ通貨については、時間と体力と気力があれば改めて書いてみたいと思う。
どんなふうに矮小化されているかについても。
それにしても、コミュニティ通貨ですらひとつの市場や野心の道具として使おうとしている人たちがどんどん出てきた状況には驚いたわけだけど。

レインボーリングの安部さんが書いた「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った 」という本についてどう思うか聞きたかったのだが、人が取り囲んでいたため聞きそびれた。
こういうユダヤ陰謀論に陥ってしまうのであれば、コミュニティ通貨もいかがなものかと思うわけだが。

それにしても、森野さんの話を聞いていると、アメリカ経済がすべてのおおもとの原因であって、格差も派遣の問題もそこからきているように思えてしまう…。
1パーセントの人が7割以上の富を独占しているアメリカ。
返済する見込みのない人間にどんどん貸し込んでいくビジネスモデル…。
個人レベルでも世界レベルでも…。

森野さんの話を聞いて、経済とのつながりのなかで環境問題とか有機農法だとかに私は関心を持ったんだっけ。
それなのに、社会的視点やラディカルさがすべて抜け落ち、エコや有機農法がここまで漂白されて市場の中に取り込まれるとは。
畑をやっているとか石油系の商品を買わないようにしているとかいうと、ロハスですねとか、自然派ですねとか、エコですねとか言われたりするのだが、そういうふうに言われると異常に腹が立ち、添加物にまみれた食品をどんどん食ってやろうじゃないかという気にもなってしまう。

私は、国や企業に、自分の生きる基盤を左右されたくないだけなんだよ。
そこをおさえられていたら、なにをされてもノーと言えなくなる。
家族といっしょだ。
健康派・自然派であるなら、とっくにタバコをやめてるさ。
やめたいのにやめられないだけなのだけど。

2日続けてブログ書いた。すごい。
そのうち、森野さんの話を改めてきちんと聞いて言語化したいな。

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2008年12月 6日 (土)

メモ1

なんか心身ともに消耗してくたくたな日々が続いていた。
でも書きたいことが少しずつでてきたので、時間をつくって少しずつでも書ければと思う。

自分は今いる足場で、自分にできることしかできないと思う。
世の中には本当に困窮している人が大勢いて、何もできない自分に対して圧倒的な無力を感じる。
何かできると思うこと自体が、すでに傲慢なのかもしれないが。

自分の限界の中でしかできないし、その自分の限界の中であがいたり自分を赦したり他人を赦したりうまくいかないなぁとちょっと絶望したり、そんなことの繰り返しだけど、そうやって自分なりのやりかたを模索することが私にとってのオルタナティブなのだ。

オルタナティブなんてない、オルタナティブをつくってもそれが逆に利用されるとかいう人もいる。でも、そうだとしても、それがどう受け取られるか利用されるかはやってみないとわからないのだし、やってみないと限界だって見えてこない。やってみて限界や矛盾が見えたら、それが次に進むためのヒントになる。
失敗するか間違っているかわからないけれども、ものすごく小さなことであっても始めてみることが重要だと私は感じている。

私は、私の立ち位置だからこそできることがあると信じる。そのことでしか、少なくとも自分自身はエンパワメントされないのだ。だから自分のためにやっているともいえる。

そんなの無理だよ、できるわけないとか言う人がいるけれど、できるかできないかはやってみなければわからないし、やる前からそういう人は確実に人からも自分からも力を奪っている。

権威だとかシステムだとかから何かを奪われていると思った瞬間に、自分自身も力を奪われてしまっている。ほかの人の場合は知らないが、私の場合はそうだ。
奪われているというところに視座を置くのではなく、自分には何かを変える力があるというところから始めたい。

私にはたぶん「アンチ」はできない。
自分自身も、システムだとかこの国のあり方のどこかに加担しているという思いをぬぐいされない。
権力や権威にいる人が全身まるごと悪だとも思えない。
ただの不完全で愚かな人間だというだけで。
愚かだという点では自分とも大差ないから、たぶんわかりあえると私はものすごく楽観的に無条件に人を信じている。

それが私の個性で私の生き方だから、間違っていると言われても変えられないし、この立ち位置からできることもあるはずだと思っている。それを信じていなければ、生きてなどいけない。

あー、ずいぶん、陳腐で当たり前のことを書いている感じもするが、それを自分自身に対してもう一度確認しておきたかった。

こういう当たり前のことを、思いつくままに、これからも少しずつ書いていこうと思っている。

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