『Dear Docter』覚書
7月18日に西川美和監督の『Dear Docter』を観に行った。
『ゆれる』で西川美和に完全のノックアウトされてしまった私だが、『Dear Docter』もすごくよかった。
しかし、実父が5月12日にガンで死んだばかり、しかも、在宅での看取りだったためそれと重なる部分も多く、けっこうこたえた。
父が死んだ直後にくどかん脚本の『鈍獣』を観たときは、あ~あ、観るんじゃなかった、なんて下品な映画なんだとがっかりしたものだったが、この『Dear Docter』はなんて奥深いんだろう。
西川美和、すごいなぁ…。
以下、自分のための備忘録として、印象に残ったシーンを書き留める。
ネタバレがあるので、まだ観てない人は読まないでください。
・映画の冒頭。田園風景。棚田。薄暗い田舎の風景。悲しいような寂しいような美しさ。
この冒頭は素晴らしいだろう。
・自宅で鼻に酸素の管をつけて、田舎の家で寝ているお年寄り。
父のことを思い出す。父も酸素をしてた。脚のリンパ腫をおさえる弾性ストッキングをつけたまま死んだ。あんな格好で死んだのがかわいそう、と涙が出た。でも病院だったら、もっと色々な処置をされていたのかも。
・鶴瓶演じる偽医者・伊野治が疾走した後、田んぼの中を汗だくになって探す瑛太演じる相馬啓介。
田んぼなんかにいるわけがない。でも探すのをやめられないんだ。瑛太の白衣の下のTシャツが汗でじっとりと濡れている。あのときの瑛太の目。表情。
・香川照之演じる斎門正芳が、喫茶店で巡査から話を聞かれているシーン。
巡査が「愛なんですかね」と言うと、斎門が椅子ごと後ろに倒れる。慌てて椅子を押さえようとする巡査役の松重豊。
台詞ははっきり覚えてないけど、愛がなくても今助けようとしたでしょ。そういうことじゃないんですか、という斎門の台詞。
香川照之は、相変わらず抜群に芝居がうまい。
・研修期間を終えたら来春からここに置いてほしいという瑛太。「俺はニセモンや、資格がない」という鶴瓶。自分の父親だって自分だって資格なんてないですよ!父親なんて経営のことしか考えてないし、というニセ医者と研修医の押し問答。
思わず笑いつつ、考えさせられる。
医者の資格ってなんだろうと。
資格があったら、この僻地の年寄り達を助けられたのだろうか、と。
人を助け支えるとはいったいなんなのだろうと。
小道具のスイカがやたら印象に残る。
・井川遥演じるりつ子(東京の大学病院で医者をやっている)が自分の母・かづ子の病気を疑い、鶴瓶(伊野治)の診療所に行く。鶴瓶(伊野治)は、かづ子は胃潰瘍であるとだます。ほっとした表情のりつ子。鶴瓶(伊野治)が次にここに来るのはいつ頃かと聞くと、りつ子は来年の今頃でしょうかねと答える。「一年後…」とつぶやいた時の鶴瓶のなんとも言えない表情。
・病院に事情聴取に訪れた巡査に、りつ子は「訴えられるのは私のほうじゃないですか。私が行かなかったら、こんなことにはならなかった。もし捕まえたらあの先生に聞いておいてください。もしあなただったら、お母さんをどう死なせたのか。」(台詞はあいまいな記憶)
助からないとわかった末期がんの人を、どう死なせたらいいのか。私にもわからない。私も伊野治だったらどうするのか聞いてみたい。何が正しいのか…。
・東京の大学病院の相部屋のベッドで横になっているかづ子。寂しそうに窓の外を見ている。父の病院での姿を思い出した。
病院で死ぬのと、田舎でひとりで死ぬのとどっちが幸せなんだろう。
弟夫妻は病院での治療を信頼した。でも私は最期は家で看取ってあげたいと思った。だましても。そのリスクは私が負った。それをいまでもひきずっている。それがよかったのか悪かったのか、いまだに私にはわからない。
・ラスト。
病院にいるかづ子のところに、病院の職員を装った鶴瓶がやってくる。
かづ子が鶴瓶に気づく。そのときのかづ子の笑顔。後姿だけど、鶴瓶も笑っているのがわかる。
その笑顔に救われた。
このラストはどうかという人もいるけれど、私にはこのラストはとてもとても必要なものだった。
笑った瞬間に映像はふいに終わり、音楽とタイトルバックが流れ始める。
この終わり方、『ゆれる』と少し似ている。中吊りのまま、観客に投げ返される。西川美和の卓越した手法。すごいな。こういう作品を作れる人は、そうそういない。
・父のことをまたいろいろ思い出させられた。そういう意味では、少しヘビーで哀しかった。
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