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2009年7月の3件の記事

2009年7月21日 (火)

『Dear Docter』覚書

7月18日に西川美和監督の『Dear Docter』を観に行った。
『ゆれる』で西川美和に完全のノックアウトされてしまった私だが、『Dear Docter』もすごくよかった。
しかし、実父が5月12日にガンで死んだばかり、しかも、在宅での看取りだったためそれと重なる部分も多く、けっこうこたえた。

父が死んだ直後にくどかん脚本の『鈍獣』を観たときは、あ~あ、観るんじゃなかった、なんて下品な映画なんだとがっかりしたものだったが、この『Dear Docter』はなんて奥深いんだろう。
西川美和、すごいなぁ…。

以下、自分のための備忘録として、印象に残ったシーンを書き留める。
ネタバレがあるので、まだ観てない人は読まないでください。

・映画の冒頭。田園風景。棚田。薄暗い田舎の風景。悲しいような寂しいような美しさ。
この冒頭は素晴らしいだろう。

・自宅で鼻に酸素の管をつけて、田舎の家で寝ているお年寄り。
父のことを思い出す。父も酸素をしてた。脚のリンパ腫をおさえる弾性ストッキングをつけたまま死んだ。あんな格好で死んだのがかわいそう、と涙が出た。でも病院だったら、もっと色々な処置をされていたのかも。

・鶴瓶演じる偽医者・伊野治が疾走した後、田んぼの中を汗だくになって探す瑛太演じる相馬啓介。
田んぼなんかにいるわけがない。でも探すのをやめられないんだ。瑛太の白衣の下のTシャツが汗でじっとりと濡れている。あのときの瑛太の目。表情。

・香川照之演じる斎門正芳が、喫茶店で巡査から話を聞かれているシーン。
巡査が「愛なんですかね」と言うと、斎門が椅子ごと後ろに倒れる。慌てて椅子を押さえようとする巡査役の松重豊。
台詞ははっきり覚えてないけど、愛がなくても今助けようとしたでしょ。そういうことじゃないんですか、という斎門の台詞。
香川照之は、相変わらず抜群に芝居がうまい。

・研修期間を終えたら来春からここに置いてほしいという瑛太。「俺はニセモンや、資格がない」という鶴瓶。自分の父親だって自分だって資格なんてないですよ!父親なんて経営のことしか考えてないし、というニセ医者と研修医の押し問答。
思わず笑いつつ、考えさせられる。
医者の資格ってなんだろうと。
資格があったら、この僻地の年寄り達を助けられたのだろうか、と。
人を助け支えるとはいったいなんなのだろうと。
小道具のスイカがやたら印象に残る。

・井川遥演じるりつ子(東京の大学病院で医者をやっている)が自分の母・かづ子の病気を疑い、鶴瓶(伊野治)の診療所に行く。鶴瓶(伊野治)は、かづ子は胃潰瘍であるとだます。ほっとした表情のりつ子。鶴瓶(伊野治)が次にここに来るのはいつ頃かと聞くと、りつ子は来年の今頃でしょうかねと答える。「一年後…」とつぶやいた時の鶴瓶のなんとも言えない表情。

・病院に事情聴取に訪れた巡査に、りつ子は「訴えられるのは私のほうじゃないですか。私が行かなかったら、こんなことにはならなかった。もし捕まえたらあの先生に聞いておいてください。もしあなただったら、お母さんをどう死なせたのか。」(台詞はあいまいな記憶)
助からないとわかった末期がんの人を、どう死なせたらいいのか。私にもわからない。私も伊野治だったらどうするのか聞いてみたい。何が正しいのか…。

・東京の大学病院の相部屋のベッドで横になっているかづ子。寂しそうに窓の外を見ている。父の病院での姿を思い出した。
病院で死ぬのと、田舎でひとりで死ぬのとどっちが幸せなんだろう。
弟夫妻は病院での治療を信頼した。でも私は最期は家で看取ってあげたいと思った。だましても。そのリスクは私が負った。それをいまでもひきずっている。それがよかったのか悪かったのか、いまだに私にはわからない。

・ラスト。
病院にいるかづ子のところに、病院の職員を装った鶴瓶がやってくる。
かづ子が鶴瓶に気づく。そのときのかづ子の笑顔。後姿だけど、鶴瓶も笑っているのがわかる。
その笑顔に救われた。
このラストはどうかという人もいるけれど、私にはこのラストはとてもとても必要なものだった。
笑った瞬間に映像はふいに終わり、音楽とタイトルバックが流れ始める。
この終わり方、『ゆれる』と少し似ている。中吊りのまま、観客に投げ返される。西川美和の卓越した手法。すごいな。こういう作品を作れる人は、そうそういない。

・父のことをまたいろいろ思い出させられた。そういう意味では、少しヘビーで哀しかった。

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2009年7月 9日 (木)

『パパは楽しい躁うつ病』

『パパは楽しい躁うつ病』(北杜夫と娘の斎藤由香の対談)を読んだ。おもしろかった。
思えば、私は小学生の頃、遠藤周作だとか北杜夫だとかの本ばかり読んでいたんだっけ。
中学生の頃は、なだいなだの講演会にまでひとりで行った。
北杜夫を読んで、「躁うつ病ってかっこいいなぁ、やっぱり人間は精神くらい病んではじめて一人前でそれで箔がつくんだ」などと考えていたヘンな小学生女子だった。う~む、それが今につながっていたのか…。それが私の原点だったかも。

北杜夫の娘、斎藤由香のあとがきがよかった。
「父は、「パパは作家としては大したことはないけれど、躁うつ病を世に知らしめた功績はある」と言っている。普通は自分の病気を隠すのが当たり前なのに、敢えて父は原稿に書いた。高度成長時代、みんなががんばっているときに、「うつ病です」と告白するのは文壇でも勇気がいったことなのではないだろうか。
(中略)
長年、私は会社で、「上司に評価されたい。課長になりたい」と必死でもがいているというのに、父は全く違った人生観を持っていた。
人間が生きていく上でのつらさ、悲しさ、大変さ、そして楽しさを身をもって教えてくれたとも言える。父は作家ではなく、まさに精神科医なのだろう。」

躁病のときのエピソードが、とにかく笑える。遠藤周作との交流の回想もおもしろい。
いい大人がいったい何やってんだか。私もこうなりたい、と、思わせる。

北杜夫自身が精神科医で、自分の躁うつ病は誰にも治せない、と、きっぱりと、いばっているところがかっこいい。
どうせビョーキになるなら、ビョーキの自分をこのくらい楽しまなくちゃ、と、改めて思った次第だ。

数日前、神はきまじめさよりも遊びを愛する、と、ふと、思った。
そんなことを思ったあとだったので、その考えと、この本とがなんだかつながっているような気がして嬉しかった。
どんな苦しみの中にも、苦悩の中にも、微妙なおかしみがある。

ばかばかしい生き方っていいなぁ。あこがれる。
株をやるために自分の生原稿を売りに行って、高く売れたと威張ったり。(普通の作家は自分の生原稿を自分で売りに行ったりなどしないものだが、北杜夫はそんな常識などおかまいなしに高く売れたと自慢しているところが好きだ。)
あるいは、マブゼ共和国というのをつくって国歌や国旗をつくったり。マゾヒストが攻めて来た時に使う乗馬用ムチを持って行軍までしている。
国旗・国歌に反対しているより、自分で勝手にヘンな国旗や国歌をつくってしまうほうがラディカルかも!

そういうおとなに私はなりたい。

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2009年7月 4日 (土)

は、は、はずかしい…

先週、誰かが集中的に私のブログの過去のエントリーを読んでいた。アクセス解析で調べてみたら、どうも私の個人的な情報を知っている知人であるらしいということがわかった…。
いったい誰が私のブログを熟読しているのだろうと思うと、おちおち更新もできなかった私なのである。

自分は過去にいったいどんな恥ずかしいことを書いたのか読み返してしまった。読まれてはまずいようなことはなかったか、と。
幸いだったのは、途中からエントリーした内容をカテゴリー分けしないようにしたことだった。
そのため、「映画」とか「霊性」とかのカテゴリーをクリックしても、最近書いたものは読めないようになっている。
ひっひっひっ。○○どん、コメントはいらないぜ!

いや~しかし、自分の恥部を見られてしまったようで恥ずかしくて仕方ない。

自分が普段はあまり公にしてない自分の人格の一部。こういうのを普通の生活でも出すことが可なのか不可なのか、それがいまだにわからない。まだ一応なんとかごまかしているのだが…。微妙なんだよねぇ、そのラインが。

しかし読み返してみたら、なかなかいいこと書いてるんだよね(自画自賛か)。
ブログを始めた当初は、自分の叫びのような言葉を伝えたいと、けっこうまじめに、かなり必死で書いていたから。

ま、だから、読まれてもだいじょうぶだろう、きっと。

ひかないでね、○○どん!

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