カテゴリー「おすすめサイト」の40件の投稿

2007年2月 1日 (木)

ユニークなかけがえのない自分をまず肯定する

茂木健一郎 クオリア日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/01/post_4e62.html
2007/01/30 「とてつもなく個性的な蝶々」

才能に上下はない。ただ、個性があるだけである。
美醜も上下の問題ではなく、本来は個性の問題であること、その基準は、時代とともに変化するものであることは、2万年以上の前の作とされるVenus of Willendorfを見ればわかるだろう。
外見もまた才能であり、才能を条件付ける文脈は変遷する。
(中略)
蝶のすがたかたち、色、斑紋は、天敵による補食、性淘汰などの文脈の中で、それぞれユニークに進化してきている。
ボクたち人間は、すべて同じ種類の動物だと思いこんでいるが、本当はめくるめく異なる様相が、一人ひとりの中にあるのではないか。
ボクたちの一人ひとりの中にとてつもなく個性的な蝶々がいる。
現代の文脈において「美しい」と思われるものを追うだけでなく、醜いもの、だらしないものの
中にも可能性を見いだすのが本来の生命哲学なのであろう。

               
宮沢章夫 富士日記2
http://www.u-ench.com/fuji2/index.html
Jan. 30 tue. 「金魚を見にゆく」

世の中、積極的に対人関係を結べる人が得になるようにできているわけだけど、でも、それだけじゃないから、きっと大丈夫。僕もそうだったけれど、誰ともうまくコミュニケーションできないその鬱屈とした気分を表現に向けよう。そこでためこむエネルギーがきっと力になる。だけどいま、ネットってその気分を吐き出すのに使いやすいからやっかいだ。簡単に吐き出さずためこんでためこんでそれを一気に表現に注ぐ。安易に、それでうまくゆくなんてけっして言えないが、積極的だからって誰でもうまくゆくわけじゃないから、だったら無理をすることはない。自分に向いている方法で。まったくもって老婆心ながらそう思うのだ。


                      
茂木健一郎の言っていることと、宮沢章夫の言ってることって、同じことだな。
人が弱みとしてとらえている部分を、強みにかえていけばいいんだということ。
既存のモノサシにあわせて自分を査定して、自分の可能性を狭める必要はないってこと。

               

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2007年1月24日 (水)

はみだしてくる魂のぎざぎざ

宮沢章夫の「富士日記2」は、更新を楽しみにして欠かさずに読んでいるネット上の日記のひとつだが、そこからまた引用。
http://www.u-ench.com/fuji2/index.html

Jan. 21 sun. 「体調を崩した週末」
なにか刺激的で、新しいことをしたいと思うが、体調が万全じゃないってのはだめだ。からだが弱っていると、人はなんだか保守化する。これでもかってほどの、なりふりかまわぬ傍若無人さに欠けてしまうようなところがある。そうはゆくか、このやろう、また、『ニュータウン入口』ででったらめなことをやるよ俺は。

                       
なんかこういうところが好きなんだよね。文面からはみだしてくる、その人の、魂のぎざぎざした部分とか、そういうのを感じられる文章が好きだ。

                            
たとえば森達也は、姜尚中と一緒につくった本『戦争の世紀を超えて』の中で、イムジン河を訪れてこういう風に書いている。

p191
分断とは無関係ではないけれども、少しだけこの渦から外れた日本人と在日韓国人、その二人が北と南の国境線上でずぶ濡れになりながらにこにこと手を振れば、物陰から銃を構える警備の兵士たちも思わず破顔一笑。二人が三人になり三人が四人になり、やがて兵士も観光客も誰もが河を渡り、駆け寄り、河の真中で抱きしめ合う。体制変換や外交上の取り決めなど後回し。とにかくまず、河を渡ろう。
徹底したリアリストでありながら、姜もまた僕と同時に、どこかでオプティミストでもあるのかもしれない。その甘さは認める。認めるが撤回しない。誰がするか。

この最後の言葉。
「その甘さは認める。認めるが撤回しない。誰がするか。」という部分で、言葉には収まりきれない、森達也の何かがはみ出している。
私はだいたい本を読んでいるときには、その人の主張とかそういうのはある意味どうでもよくて、こういう、はみだしてくるその人の魂の断片を読んでいる。

           

戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある Book 戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある

著者:森 達也,姜 尚中
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年12月23日 (土)

『エンジョイ』を観た宮沢章夫の感想

宮沢章夫の「富士日記2」のなかのDec. 20 wed. 「たくさんのメール」に、『エンジョイ』についての感想がいろいろと書かれていた。
なるほど。

http://www.u-ench.com/fuji2/index.html

       

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2006年10月10日 (火)

石岡瑛子著『私 デザイン』

松岡正剛の「千夜千冊」の中で、石岡瑛子の『私 デザイン』(講談社)がとりあげられていた。

石岡瑛子。

私は、元コピーライターだ。
石岡瑛子から影響を受けていないはずがない。

大学時代には詩を書いていたが詩でめしが食えるはずがないと思い、言葉を使って一番簡単に金が稼げるのは何かと考えて、コピーライターになった。

コピーライティングは独学で勉強した。
過去のコピー年鑑や広告年鑑を何度も読み返し、気に入ったコピーを手書きでノートに書き写して勉強した。

石岡瑛子はコピーライターではない。
デザイナーだ。
イメージをうみだすクリエイターだ。
挑発的で、強い女のイメージを発信していた。

企業の金を使って、こういう風に、世の中を支配しているムードや価値観を変えられるのか、と驚いた。

詩なんて書いても誰も読まない。
でも、広告は誰もが見る。

私はいまコマーシャリズムに対して少々批判的ではあるが、でも、私の好きな人は広告畑を出た人が多い。
横尾忠則、糸井重里、そして、石岡瑛子。

広告会社の入社試験で私は、「言葉の地平をゆるがしたいんです」と不遜にも言ったんだっけ。

あぁ、久しぶりに石岡瑛子のことを思い出した。
かっこいい女。

私はどうやら、女は強い人が好きで、男は弱い人が好きなようだ。

女が弱くて男が強いのは当たり前だからね。(表層的だけの話だけど。)
そのステロタイプから逸脱している人に惹かれる。

                            
いま私は石岡瑛子のようなパーフェクトな仕事の仕方や生き方にはあまり関心がなく、どうやってずれやゆるみを楽しむかというほうへ興味が移っているが、こういうとんがった人がやっている仕事ぶりには相変わらず惹かれる。

松岡正剛が石岡瑛子のことをリスペクトして書いている文章は素敵。ぜひ読んでみてください。

                           

私 デザイン Book 私 デザイン

著者:石岡 瑛子
販売元:講談社
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2006年10月 6日 (金)

NHK番組改竄事件

田中真紀子議員の安倍晋三氏に対する代表質問が行われたようですね。

私は、8月31日の「安倍晋三って、へん。」というエントリーで、
「日本は確かに美しいけど、「女性国際戦犯法廷」NHK番組改竄事件のとき、テレビのニュース番組に出て、早口でまくしたてていた安倍晋三は醜かった。人間として醜かった。」
と書きましたが、
以下のブログで、田中真紀子議員と安倍氏のやりとりと、安倍氏がNHKに介入して番組を変更するように圧力をかけたことが書かれています。
ぜひお読みください。

                                       
双風亭日乗
「田中真紀子議員の代表質問――NHKの番組への政治家介入について」
http://d.hatena.ne.jp/lelele/20061006/1160101975

                   

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2006年10月 5日 (木)

森博嗣のブログより~ネットの上品さについて

きょうは外出したついでに『パビリオン山椒魚』を見ようと思っていたのだけれども、時間があわなかったため見ることができなかった。今週末にでも行こうかな…。
『蟻の兵隊』も見たかったのに、明日まででおしまい。明日は無理だ…。
         
                                                        

森博嗣MORI LOG ACADEMYの9月30日(土曜日)の日記に以下のような記述が。

メールが普及したとき、便利で合理的だな、と感じた。余計なことを話さなくてすむし、好きなときに発信でき、好きなときに受信できる。お互いに相手の邪魔をせずにコミュニケーションが取れるのだ。
 ブログの日記は、これと似ている。もっと世間話やおしゃべりがしたい、でも、相手の生活には干渉したくない。だから、みんなが自分の好きなときに発信し、また好きなときに受信できるようになった。
 ネットの基本とは、この「迷惑をかけたくない」という上品さにあるだろう。考えてみたら、突然自宅でベルが鳴る電話などは無礼な存在だったし、また、直接会って話をすることは、お互いのタイミングを計ったり、いつ切り上げて良いのか迷ったり、とにかくやっかいだ。どちらかが、あるいは両方が「ああ、時間が惜しいなあ」と感じることがあるだろう。

                  
電話が苦手な自分としては、上記の気持ちがよくわかる。
私が電話嫌いなのは、母親が過干渉であったことと関係しているかもしれない。
自分の日記も机の中も部屋もいつも勝手に母親が侵入してきていたので、自分の時間やスペースに他者がとつぜんやってくることがひどく苦痛に感じるのだ。
電話の唐突さにいつもうまく対処できず、うっかり電話に出てしまったときにはものすごくいらいらした口調になる。
だからいつも留守番電話にしている。
その点メールだと、ちょっと空いた時間に目を通したり返事を書いたり、自分のペースでできるからラク。

             

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2006年10月 1日 (日)

クリエィティビティ

作家・森博嗣の日記 MORI LOG ACADEMYをときどき読んでいる。
飛ばし読みだけど…。
毎日更新されているブログや日記などは、ついつい毎日チェックしてしまう。

この中の2006年09月18日(月曜日)の日記で、よしもとばななが特別に投稿していて、それが結構おもしろかった。

よしもとばななが小学校二年生のとき、紙粘土で生き物をつくり網に貼り付けて壁掛けにするという工作で、くねってはねている魚をつくったら、「曲がってるのをつくっちゃいけないんだ、魚とはまっすぐなものだからだ」と周りのこどもたちがクレームをつけてきたそうだ。
でも先生が「なにを言うんだ、すばらしいことじゃないか、動いてる魚をつくるなんて。こういう考え方が図工には大事だよ」と言ってくれたのだと。

で、それに続けて、彼女はこう書いている。

 先生がどういう人であるかはとっても大事だと私は思った。もしここで先生まで「魚はまっすぐに!」なんてことを言い出したら、私はもう学校に行かなくなったかもしれない。
 子供たちがそんなわけのわからない統一感を創作に対して求めていたのが謎だが、きっと彼らは私の持っている気持ち悪いくらいのクリエィティビティを潜在的におそれていたのだろうと思う。そしてなにかのきっかけであげあしを取りたかったのだろう。
 もしかして今は時代が逆のほうにふれていて、子供が「死んだ魚」をつくろうとするとクリエィティブじゃない、とみんなが責めてくる時代になっていて、実は同じことであるような、いやな予感がする。
 いずれにしても創作に基準があると思う方が、おそろしいのだ。

                         
今の時代は逆に「子供が「死んだ魚」をつくろうとするとクリエィティブじゃない、とみんなが責めてくる時代になっていて」という洞察をするあたりは、さすがに鋭い。

よしもとばななの最近の小説は、どうしても読めないのだけれども、彼女が書くこういうエッセイ風な文章はばつぐんにうまい。

                     

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宮沢章夫「富士日記2」を読んで、思ったこと

以下は、富士日記2の、Sep.23 sat. 「また稽古ははじまっている」より引用
http://www.u-ench.com/fuji2/index.html

「性同一性障害」「ジェンダーフリーとバックラッシュ」「監視カメラ問題をいかに笑うか」……、で、『東京大学「地下文化論」講義』で、「八〇年代が生み出した、ある種の清潔感(それは七〇年代への反発として生まれた部分もあるが)」と、やはり八〇年代に生まれた「差異化のゲーム」といったものが、現在、歪んだ形で反復されていないかどうか。つまり、「禁煙」に関する神経質な社会の反応をはじめ(ホームレス排除の社会的風潮)は、「清潔感」の現在的なありようだろう。「差異化のゲーム」は、「社会の格差を大きくすることにつながっていないか」といったことも考えられる。

                
なるほど…。
このへんについては、私もいつももやもやと考えていることなのだけれども、うまく考えがまとまらない。
異質なものを排除していく清潔感のようなもの、か。

最近の表層的なエコロジーブームみたいなものも、こういう清潔感や正義感や潔癖性とリンクしていきそうなあやうさも感じる。
そういう人達のなかには、伝統回帰みたいな志向の人もけっこう多いけど…。

過去や歴史に対する洞察抜きに、古き良き日本とか短絡的に思うのはかなりあやういと私は感じる。コミュニティの再生とかも。

私はなんらかのコミュニティが必要だと思っている側のひとりだけど、かつてのコミュニティには排他性とか性差別とかいろいろな問題もあったわけで、だから若者がそれを嫌って出て行ったということもあるわけだから、その辺をきちんと見極めていく必要はあると思う。
昔のままのコミュニティを再生したって、どうなのよ、それ?

本当はかなりラディカルなはずのエコロジーやコミュニティ再生という発想が、安倍晋三的な「美しい日本」みたいな方向に回収されていく危険性は大いにありうる。
古きよき日本。男は男らしく、女は女らしく、ホームレスもいない、労働を美徳とする社会、か。
清く、正しく、美しく。
やだね。
悪い奴、きたない奴は、生きていることすら許せないという感覚。
あー、あやういなぁ。

ヒットラーも確か、農業とかエコロジーとかそういうことを非常に強くうちだした人だったよね。

宮沢章夫がいうところの「抑圧する者によって排除されるノイズ」、というような視点は非常に重要な気がしている。
だからこそ私は、ノイジーな文化、猥雑なもの、規範からはずれている美を愛して止まない。

網野善彦的な視点…。
社会構造からはみだしたもの達にむけられたまなざし、そこにある豊饒さ。

              

それから、宮沢章夫がリンクをはっていたから見たんだけど、オーマイニュースのこの記事すごいね。

公園のベンチが人を排除する?
不便に進化するホームレス排除の仕掛け

http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000001539

都築氏は、これらの行政のやり方は、悪意があるように見せないことが大事で、排除アートだということを市民に気が付かせないようにするのが“芸”だという。本来は、人々の心や生活を豊かにするためのアートを、特定の人を排除するために使うなどいやらしいやり方だと思う一方で、行政・ホームレス双方の態度に不器用さを感じる。(記事から一部抜粋したもの)

アート関連の雑誌編集を手がけ、写真家としても活躍している都築響一という人が言っているらしいけど、平気でよく言うよなぁ。
社会構造から逸脱した者たちが、この国の文化や芸術を作り出してきたのだという網野善彦的視点を、都築さん、あなたはもっと学ぶべきでしょう。

              

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茂木健一郎「クオリア日記」より

茂木健一郎「クオリア日記」より、気に入った箇所を引用します。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/10/post_5449.html

「ヨミウリ・ウィークリー」、買って読もうかな…。

                           

「希望に満ちた怪物」を応援

抜粋

 その時々の社会の「正解」の外に出ることには勇気がいる。成功するかどうかは、保証されていない。だから、多くの人が「優等生」でいようと努力し、親たちも子どもたちをそのように教育しようとする。
 自分たちは「希望に満ちた怪物」でいいんだ。そのように思ったら、少しは気楽になるのではないか。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

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2006年9月28日 (木)

クオリア日記より引用

茂木健一郎のクオリア日記をときどき覗いているのだけれども、そのなかに素敵な一文があったので引用します。
               

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/09/post_9393.html

人生を一つの動物の軌跡として見た場合、
絵に描いたような成功や、
 ビジネス・ライクな合理主義や、
 自己啓発本にあるような野放図な楽天主義
ではなく、
 「うねうね」や、「ぐだぐだ」や、
どうしょうもない失敗にこそ
 その本質が顕れる。

 外れたり、落ちたり、たたずんだり、
すねたり、怒ったり、また希望をもったり。

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2006年9月18日 (月)

連休中

きょうは連休の最終日。

土曜日は畑に行って小松菜とほうれん草と春菊の種をまき、夜は井筒監督の『パッチギ!』をDVDで観た。
こういう映画だとは思わなかった。

いま私の中ではオダギリジョーのマイブームが起きている。
なので、オダギリジョーが出た映画を次々と見ていて、『パッチギ!』を見たのも単にオダジョー見たさから。
なので、こういうメッセージ性の強い映画だとは思わなかった。
そしてオダジョーがこういう役とは。
どうしてまともな役がないのかねぇ。『有頂天ホテル』といい、この『パッチギ!』といい。

『パッチギ!』はよく平和映画祭みたいなところで上映されていたから、平和系の映画なのかなぁとは思っていたけど。
在日の人を描いた映画としては、『GO』のほうが良くできているし、あっちのほうがずっとおもしろい。
でもあえてこの時期(2004年)にこの映画を撮った井筒和幸の気概は高く評価する。
詳しい感想については、また後日。

それからマイ・オダジョー・ブームの流れのなかで、マンガ『蟲師』も買って読んだ。
今度このマンガが映画化され、オダギリジョーが主役をやるからだ。
で、このマンガだがやたらおもしろい。一冊しか買わなかったのだが、早く全巻読みたい。
主人公の白髪で片目の蟲師ギンコはオダジョーにぴったりの役。早く映画も観たい。
映画『蟲師』公式ホームページ
http://www.mushishi-movie.jp/

きのう日曜日は、埼玉県小川町の温泉へ。ついでに手作りの地ビールをいっぱい買ってきた。
小川町は大好きな町。
有機農業の第一人者である金子美登さんがこの町にいて、彼を慕って太陽光エネルギーの第一人者である桜井さんとバイオガスプラントの第一人者である桑原さんが移り住んできて、また金子さんの農場で研修を受けた人達も色々と移り住んで農業を始め、ちょっとしたコミュニティが成立している。

数年前には、市民達が手作りでバイオガスプラントをつくり、生ごみを分解して液肥とバイオガスにする仕組みをつくった。
これを市民達が協力してやってしまうというところがすごい。
ゼネコンなんかに頼んだら莫大な金がかかるところを、200万円くらいでつくってしまった。
これには、APバンク(ミスターチルドレン櫻井和寿、小林武史、坂本龍一がやっている市民バンク)が出資した。
さらにまた今年は、そのバイオガスプラントをもっとちゃんとしたものにつくりなおすプロジェクトが進行している。
まぁ、そんなわけでいろいろなおもしろい人が集まり、いろいろなおもしろいことが起こっている町である。

金子さんの霜里農場は、太陽光エネルギーで井戸をくみ上げ、トラクターは使い済みの食用油を使い、マルチシートも紙製のものを使用している。
石油が輸入できなくなっても金子さんのところはまったく困らないだろう。
自給自足の延長線上にある農業を目指しているとおっしゃる。
また、この小川町は土地の気がすごくいいんだよなぁ。
ここへ行くと、ぼーっとしていやなことをすべて忘れてしまう。

昨日はただ温泉に入りたくて夫と一緒に小川町へ行ったんだけど、小川町以外から来た人達で温泉は異常に混んでいて、2時間待ちの状態。
予約だけして、地ビールを買ったり温泉内にある食堂で酒をのんだりして時間をつぶし、やっと温泉に入れた。
露天には色々な風呂があって、岩の上に寝転がったまま入れるものすごく浅い風呂もある。
温泉で寝転がってずっとぼーっと空を眺めていた。
温泉で日ごろの疲れが出たのか、きょうはやたら眠い。

                                       
宮沢章夫の「富士日記2」が相変わらずおもしろい。
http://www.u-ench.com/fuji2/index.html

Sep.16 sun. 「また、ひとつの舞台を終えて」から、引用する。

もっとだらだらにしたい気持ちもあったのですが、「だらだら」も訓練を積み、稽古を重ねないとだめです。

「対抗」としての「だめ」が、ダンスにおいて、あるいは演劇においてこれだけ顕現してくると、それがあたりまえになり、するとどうしたって「魅力的かどうか」という「問い」がより重要性を増してくる。

だからここでもやっぱり、「だめな身体」の問題になるのだな。特に僕のクラスは、それをどう表現しようか考えており、それはつまるところ、いかに「芝居させないか」になる。むつかしいのは、芝居してもいい者と、芝居してはいけない者がいることだ。その人が持っている固有の身体だ。

打ち上げで宮沢さんがキャバクラ状態に巻き込まれるくだりもおもしろいので、それについては本文を。

                                 
で、連休の最終日のきょうはぐちゃぐちゃになってしまっている家中を、なんとしてでも片さねばならない。
なので、こんな風にブログを書いている余裕などないのだった。

                     

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2006年9月 7日 (木)

おもしろサイト

たまたま見つけたおもしろいサイトを紹介します。
「イルコモンズのふた。」http://illcomm.exblog.jp/

                                   

「自称・死ぬほどくだらないデモhttp://illcomm.exblog.jp/3723868/
というエントリーが笑える。
この中で紹介されている「3人デモ」というビデオがおもしろい!
http://www.youtube.com/watch?v=-5NXX5zs5k4
見て、見て、見て。

「不倶戴天の敵・国内候補ナンバーワン」
http://illcomm.exblog.jp/3679621/
というエントリーも必読。

上記のエントリーのコメントの中で、
「悪態祭(あくたいまつり)」(茨城県笠間市・飯綱神社)
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/festival/center/04.html
という奇祭のことが紹介されていた。

「行列につづくものたちは互いに悪口を言い合う。ののしり合うわけだが手を出してはいけない。」だって。
う~、参加してみたい。

                      

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2006年9月 6日 (水)

男児出産について、藤原新也のコメント

男児出産だったんだね。
テレビも見ずに外出していたから、まったく知らなかった。

以下、藤原新也オフィシャルサイトの中の、Talk&Diaryから引用。

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=past_show&date=200609

昨今のメディアスクラムには異様なものがある。
「ハンカチ王子」の場合もそうだが、暗い世相を払拭させるような話題が出てくると一点集中でそこにネコもしゃくしもなだれ込むこの状況はある種の病気としか言いようがない。
同じく今日(6日)にはじまる国民的馬鹿騒ぎにはつきあいたくないのでしばらくはテレビも新聞も見ない。
騒げば騒ぐほど雅子さんと愛子さんが不憫である。
(中略)
彼女(人間)は皇位継承者を産むための道具ではない。

                        

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田中泯の公式サイト

『メゾン・ド・ヒミコ』にヒミコ役で出ていた田中泯のダンスが見たいと思ってネットで検索したら、公式サイトが見つかった。
http://www.min-tanaka.com/

                     
「ダンサーとは本来、無名の力であり、場所のメディアであった。私もそうありたい、 と欲するのです。」と書かれてある。
かっこいいなぁ。
             

『私は地を這う前衛である』
20年程前に師である故・土方 巽(ひじかたたつみ)へのオマージュの中で書いた。今もこの精神は私の本質である。
近年では、『私は地を這う農民でもある』と付け加えたいと思っている。

そうなんだよね。
田中泯って農業もやっているんだ。
「RICE PAPER」というフリーペーパーで読んで知ってた。
自分も農をやりたいと思っていたから、舞踏をやっている人がこういうことをやっているんだと知って少なからず影響を受けた。
だって、田中泯って前衛だぜ~。

ヤギやウサギやロバも飼っているんだよ。
いいなぁ。うらやましいなぁ。
一度遊びに行ってみたいなぁ。

            
以下の文章は、公式サイトの中から引用。
あまりにもかっこいい文章なので、全文引用させていただきました。
(公式サイトの方も見てね。) 

                   
人間が土から恩恵をもらって生きられること。
あたりまえのこと。日常のこと、生活のこと。
日々の天気、気温や湿度、雨や風、太陽の光の強さに悩まされるような、かつての時間は、現代では「ひと昔前のこと、、、」と言われてしまうのだろうか。

忘れてしまった時間に古さをつけ加えるいい訳を止めようと思う。
正面から向き合って身体を動かすことで、以前よりもっと深い気温や湿度を感じることがある。

植えた野菜の葉が、昨日の雨や風を見せてくれる朝がある。
もいだ果実の重みが伝えてくれる瞬間がある。

古代緑地の静寂。
私より大きな時間を日常の隅に見つけること。
農業には、古い過去からの反現代、具体の現在がある。

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2006年8月21日 (月)

幾つか引用

加藤紘氏実家炎上について、幾つか引用します。
                           

宮沢章夫「富士日記2」8月20日のノートより
http://www.u-ench.com/fuji2/index.html

政治的なこと、たとえば「靖国」について語ったら家に火をつけかねられない。でも、僕んところに火をつけてもたいした影響力はないと思うものの、ただ、「やるよ」というあの陰湿な恫喝の姿勢が蔓延し、それで口をつぐむ者らがあらわれたらこの国の社会はいっそう暴落である。

安部晋三が『美しい国へ』という本を出して売れているらしい。日本は美しいよ。わざわざ言われるようなことじゃない。しかし、「美しさ」とは、人の観念が生み出すものだから、どう「その美しさ」をとらえれるかは主観であり、もっというなら政治的な反映になる。いやだよ俺は。『美しい日本』を支持する者らは、「(抑圧し、管理する者らから見た)ノイジー」なものついてどう考えるのか。現代資本主義から作り出した人工的な「美」についてどう考えるのか。

                 
東京新聞
『異論排除』強まる一方
首相参拝の日 『批判派』加藤紘氏実家炎上

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060817/mng_____tokuho__000.shtml

 「活動家に『体を張らなければいけない』と思わせる空気がある。文化人、教授など肩書のある人々が『戦争覚悟でやれ』などと過激な言辞を競い合い、右翼団体より過激なことを言っている。右翼機関誌より、書店に並ぶオピニオン誌の方が激しい。それが活動家たちに『自分たちが取り残された』という感覚を与え、『行動するしかない』と思い詰めさせている」 (鈴木邦男談)

斎藤(貴男)氏は今回の事件を目の当たりにして「頭に来るから火を付けてしまえと。そういうことができてしまう空気が、この国にはっきりあると思った」と語る。
「世間の人々もこういう事態を予想していた部分がある。実際に事件が起きても、みんなりつ然とはしていない。『このぐらいは仕方がない』とか『加藤氏も言い過ぎた』と受け止める空気があるのでは」
さらに事件の真相や犯人の動機とは別に、今回の事件が社会に与える委縮効果を次のように懸念する。
「やはり、言論にかかわる人々は『表現に気を付けなくては』と思うようになってゆくのではないか」

           
Arisanのノート
「加藤氏実家炎上のこと」

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060817/p1

だが問題なのは、そういう人間が起こす行動を利用して、世の中に恐怖や、自他の暴力に対する無力さの雰囲気を蔓延させた方が、都合がいいと考える人たちがいることだ。
そのためには、そういうことをあえて支持する必要はなく、なんとなくやり過ごして強く言及しなければそれでよい。発言力のある人がこれを行う場合、暴力行為そのものよりも、世の中にあたえる効果はよほど絶大なのである。
今回、ぼくがもっとも恐ろしいのは、政治家もマスコミも、こうした暴力行為を非難する明確なメッセージを発しないことだ。

                 

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2006年8月17日 (木)

月乃光司、おもしろい

8月17日に書いた「畑をやっていることに対する周囲の反応」というエントリーを自分で読み返してみて、深く自己嫌悪。
どうして、こんなにどうでもいいこと、ぐだぐだと書いてしまったんだろう。
削除したい衝動がわいてきたけど、面倒くさいから、あえて残しとこう…。
かっこつけたって仕方ないし。
                      

ところで、「人生なんでもあり 月乃光司・心のリハビリ日記」って、おもしろい。
 ↓
http://www5.diary.ne.jp/user/502228/

とくに、8月12日に書かれた「変質者としての私」は、笑った。
カレンダーで8月12日をクリックすれば見られる。
1~6まである。
以下、一部引用。
                           

なんだか、そんなことがとても魅力あることに見えたのだ。そして、「あぁ、こういう生き方があるんだ! この紳士みたいに、自分の不様なところもみっとないところも、普通なら恥ずべきところとして隠すべき場所を、さらけ出して生きていく生き方があるんだな・・・」と感銘を受けたのだ。
(中略)
私は自助グループの会合に出て、いかに自分がエロ男であるか、話すように心がけた。精神病院に強制入院になった話、父親から「くさいからあっちに行け」と言われた話、人に話したくない事を沢山話した。
だんだん、そんな過程の中で、自分の必要のない無用なプライドは削り取られていった。
私がどんなに格好つけても、母親に「おまえヘンズリばっかりして!」と言われていた男なのだ。
今、こうやって人前で偉そうに話をしているが、私は30歳近くなって、自分がオ○ニーに使用した使用済テッシュを母親に掃除をしてもらっていた変質者のような男なのだ。
私は自分は全然格好つける必要はない、と思う
酒の酔いの中や部屋の中から抜け出して、現実の世界で、傷つきながら、恥をかきながら、歩いていこう。

                                  
笑った。
というか、私も自助グループに通っていた人間なので、こういう感覚(さらけだしていく生き方に感銘を受けるということ)がよくわかる。

自助グループってほんとカルチャーショックの連続だった。

私は最初、ある診療所のオープンミーティングというものに参加したのだが、その診療所の建物のなかには、女装したオジサンだとか、がりがりにやせた拒食症の人だとか、アルコール依存症の人だとか、リストカットの傷跡が手首にいっぱいある人だとか、そういう人がわんさかいた。
圧倒された。
そしてみんな、自分の悲惨な体験だとか、月乃光司さんのような話だとか、食べ吐きを繰り返している話だとかを、言いっぱなし・聞きっぱなしで淡々と話していた。

私はアングラ芝居とかをやっていたから周囲には奇人変人は多かったけど、なんだかんだいってもエリートに囲まれていたのは事実だった。
だから、いままでいた世界とは別の世界に来てしまったかのような、くらくらした感じがあった。
やばいところにまで来てしまったんじゃないかなと思ったりもした。
(もう元の世界に戻れないような恐怖だとか。)

でも、ここに来るとほっとしたのも事実である。
あ~無理しなくていいんだ。
ただ生きているだけでもすごくたいへんなことなんだ。
私は私のままでいい。
私のままでも居場所はある。
そんな風に思えて、ここにくると本当に心の底から安心できたのだ。

それにここの人たちは、なんというか、つきぬけたようなある種のきらきらとした美しさがあるように私には感じられた。
自分の弱さやみっともなさを受け入れている人は、人を見下したりはしない。
人を裁いたりしない…。

そのへんのことは、ある専門誌にけっこう長々と書いた。
自助グループのおもしろさや魅力については、また改めて書いてみたい。

                                                    
でも月乃光司ってすごいなぁ。
8月6日に書かれている「死ななければ大丈夫」という詩も笑える。
(以下、その詩の一部。)

                                                                   
私は、死んでしまいたい! お先まっくら!
でも、でも
生きてこそ、生きてこそ、生きてこそ、生きてこそ、生きてこそ、
こそ、こそ、こぞ、こぞ、小僧寿しチェーン

どう、これ?
最高でしょ。
同じく8月6日に書かれている「夜回り先生ポエム」も笑える。

                         
先日、ポレポレ座のカフェのテラス席でお茶した。
テラス席には座席が二組しかないのだが、そのうちのひとつに私は座り、さて本でも読みながらタバコでも吸おうかなと思ったら、空いているもう一組の席に、どやどやと4人組がやってきた。
見たら、田口ランディと月岡光司とほかふたりの4人組だった。

まいったなぁ、と、思った。
私はそれまで田口ランディの本はエッセイ1冊しか読んだことがなかった。
でもその日、ポレポレ座に行く途中に本屋に寄り、時間つぶしに手軽に読めそうな本はないかなぁと思って田口ランディの文庫本を一冊買ったところだった。
その本を出して読もうとしたところへ、本人が現れたわけである。
こういうのを、シンクロニシティというのだろうか。
本人が目の前にいるところで、その本人の文庫を取り出すのも気が引けて、結局タバコだけ吸っていた。

ポレポレ座カフェのテラスでは、以前、森達也も見かけた。
タバコ吸いながらお茶したかったのだが、森さんのとなりに座るのもなんとなくいやだったので、近くのドーナツ屋に行ったんだっけ。

また話がそれていったけど、とにかくそういうことがあったものだからなんとなく月岡光司さんのHPを見始めたのだが、はまっている。
詩集も出るようだ。楽しみ。

                  

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2006年8月15日 (火)

きょう気になったブログ

きょう気になったブログから、一部引用します。

関組長の東京・永田町ロビー活動日記blog版
http://sekigumi.ti-da.net/e960295.html

8月15日のエントリーより

小泉総理の靖国参拝は午前7時40分の予定、とテレビで報道された。

靖国神社へ抗議に行く人に言っておきたい。
機動隊と闘ってもしょうがない。機動隊は、
右翼の集会ではそれを左翼から殴られないように守り、
左翼の集会ではそれを右翼から殴られないように守っている。

                      

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2006年8月 3日 (木)

無題その5

新聞もとってないし、テレビもほとんど見ない。
最近は自分の体調のことでいっぱいいっぱい。

自分は注射一本打つだけの痛さで、ほんと逃げたくなる。
苦しい思いや痛い思いをするくらいなら、狂うか死んだ方がラクだなどと思ってしまう弱い人間だ。

だからいやだ。
無防備な人間が痛い思いや苦しい思いをするのはいやだ。

レバノンのこととか正直言ってよくわからない。
情報を得ていないし、自分でも調べていないし、いまは調べる気力もないし、何も言えない。
でもいやだ。
地球のどこかで、ことばにできないような苦しみを受けている人間を想像するのは耐え難い。

判断抜きに、情報の転載だけさせていただく。

アムネスティ
「イスラエル軍のレバノン攻撃に対する緊急アクション」
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=505

ブログ・晴読雨読
「レバノン空爆反対署名」
http://d.hatena.ne.jp/Leseratte/20060719

                     

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2006年7月18日 (火)

鈴木邦男のサイン入りシャツって…。

鈴木邦男・斎藤貴男・森達也の鼎談『言論統制列島―誰もいわなかった右翼と左翼』を読んで、鈴木邦男のキュートな右翼ぶりにはまり、彼の新著『愛国者は信用できるか』を沖縄で一気読みして以来、HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」のなかにある鈴木邦男の「今週の主張」を愛読している。

鈴木邦男、かわいい…。

今週の主張7月18日号も笑っちゃった。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2006/shuchou0717.html

それだけ、今の情況は息苦しいし、言論が不自由だということです。「でもお前の本は左翼に利用されている。敵に塩を送っている」といって批判する人もいます。了見の狭い人だなと思います。又、利用されたっていいじゃないか。敵にも味方にも塩を送り、「共通の土俵」に上げて堂々と闘う。いいことじゃないでしょうか。
 「愛国心、日の丸、君が代の強制はおかしい。ほらみろ、右翼の鈴木だって言ってるじゃないか」という形で、左翼に利用される。だから悪いという。でも、悪いのは、「強制」している人々だ。それに対し、右であれ左であれ、アナキストであれ(もういないか)、反対するのは当り前じゃないか。私は、そう思いますね。

7月9日の「あんにょん・サヨナラ」の公開記念トークのことも書いてあった。
超満員で、入れなくて帰った人もいたそうだ。

終わって、サイン会。私の『愛国者は信用できるか』は売り切れで、パンフレットやシャツにサインを書かされました。こんな体験は初めてです。嬉しかったですね。

ウヨクのサイン入りのシャツ…。
かっこいいかも(?!?!)。
今度、鈴木邦男さんのトークイベントに行ったら、私もTシャツにサインしてもらって、それを着て歩こうかな…。

私はウヨクでもサヨクでもないが、人間臭い人が大好き。
                   

言論統制列島  誰もいわなかった右翼と左翼 Book 言論統制列島 誰もいわなかった右翼と左翼

著者:森 達也,鈴木 邦男,斎藤 貴男
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2006年6月21日 (水)

山口県光市母子殺害事件

疲れている…。
きょうは家にいて、テレビをつけたら山口県光市母子殺害事件についてのニュースが流れていた。
見たくないのでチャンネルを変えたら、そこでもまた同じ内容。

ちらっと見ただけだけれども、こういう風に報道されるのを見ていたら、私だって被告を死刑にすべきだと絶対に思うだろう。

なにか、すべてが表層的に捉えられていて、上滑りしていって、いつのまにか大事なことが失われてしまうようで、そのことがこわい。

山口県光市母子殺害事件については、綿井健陽さんのブログに書かれていることを読んでほしい。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-06-20

安田好弘弁護士の著書をもう一度きちんと読み返して、司法や裁判のありかた、弁護士の仕事、死刑制度や冤罪などについてブログに書いてみたいと思っていたのだが、その時間がとれずにいる。

安田弁護士の著書は、このブログでも既に何度も紹介しているのだけれども、ぜひ読んでほしい。

                              

「死刑」というものについては、多くの人が自分とは縁のない、かけはなれた遠いイメージとして捉えているのではないだろうか。
だから実態もわからず、リアリティも持てないままでいる。
「死刑」についても、自分なりに調べて、書けたら書いてみたい。

また、犯罪者の心の問題についても、自分なりに色々思うところはある。

今は気力がないし、予定が立て込んでいる…。
7月中旬以降になったら少しは時間ができると思うので、少し長めの文章も書いてみたい。(HPもつくろうかな…。)

                      

「生きる」という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記 Book 「生きる」という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記

著者:安田 好弘
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2006年6月17日 (土)

鈴木邦男、相変わらずいい味出してる

以下、鈴木邦男のHPより引用。
相変わらずいい味出してますね~。
彼の新刊『愛国者は信用できるか』も読まなくちゃ。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2006/shuchou0612.html

しかし,ちょっと同情しますね。「君が代」の「反対運動」「抵抗運動」がどんどんと小さくなって,追いつめられて,劣勢だ。それで今や,「サボタージュ」しかないのか。「君が代反対!」くらい,思い切りやらせてやれよ,と私は思いますね。
 だって,国旗国歌法が出来た時は,政府は,「これは強制するものではありません」と言っていた。しかし法律なんて,出来ちゃえば独り歩きする。どんどん強制している。反対する人間はどんどん処罰・処分する。
(中略) 
 それに奇妙なのは,もっぱら公立の中学・高校だけだ。子供にだけ押しつけている。企業ではやらない。「君が代」は大切だ。歌え!というなら,そう発言している文部科学省,産經新聞社で歌うべきだ。国会で歌うべきだ。文科省や企業では,毎朝,朝礼を開き,君が代を歌ったらいい。ちゃんと背筋を伸ばして起立してるか。ちゃんと口を開いて,正しく歌っているか。歌っている時,他のことを考えてないか。たとえば,隣りのOLの胸がふくらんでるとか。付き合いたいな,と考えてるとか。
 こんな奴らも,正しく歌ってないんだ。でも,こんな監視はやらん。自分たちは君が代を歌わないし,教えもしないくせに,子供たちに強制している。おかしいだろうよ。

                                  

愛国者は信用できるか Book 愛国者は信用できるか

著者:鈴木 邦男
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『マガジン9条』から一部引用

6月15日 (木)に、以下のように書いた。

WEBサイト『マガジン9条』 の「この人に聞きたい」のバックナンバーから、辛淑玉、ソウル・フラワー・ユニオンのヴォーカリスト・中川敬、脚本家・演出家の鈴木聡の記事をプリントアウトして読んだ。
(バックナンバーは以下↓)
http://www.magazine9.jp/interv/bk_index.html

                                                    
上記の『マガジン9条』 の「この人に聞きたい」から、一部引用しておきます。
というのも、私なんかはリンク貼ってあるだけじゃ、読まないんだよね。
だから「なるほど」と思った箇所を一部引用しておきますので、びびびっときた人は、ぜひ本文を読んでください。

まず、きょうは辛さんの分だけ。
やっぱ、辛淑玉ってすごいわ~。

                        

辛淑玉さんに聞いた(その1)
http://www.magazine9.jp/interv/sin/index.html

私は、9条が求める人間像のサンプルは、ペルー公邸人質事件のときの、国際赤十字のミニングさんだと思うんです。ゲリラ側の銃口と、政府側の銃口のあいだを、赤十字のゼッケン1枚だけで何度も行き来し、交渉に当たった。あの姿が、国際社会が日本に望む姿だったと思うんです。でも日本は、一度としてそういう姿勢を具現化したことがありません。
 暴力でコントロールするというのは最後の手段で、かつもっとも簡便な手段ですよね。これって一度やってしまうとすごくおいしいんです。人間関係でゴチャゴチャ苦労するより、叩けば済むわけですから、どれほどラクかわからない。今、日本はそのラクな方向にどんどん向かっているのではないでしょうか。

辛淑玉さんに聞いた(その2)
http://www.magazine9.jp/interv/sin/index2.html

私見ですが、この改憲論議は9条と両性の平等を謳った24条、それに教育基本法の改悪がワンセットになっていますよね。その意味するところは、男を戦争のタマにする、女は銃後の守り、さらにはタマの再生産役にしようということです。戦争動員という口実のもと、日本人も人権を制限されて国家の奴隷とされてしまうのです。日本国民も在日外国人なみに管理するという方向へ、さまざまな法整備や世論誘導が進んでいます。
                        

地方を講演で回ることが多いのですが、よく会場で「辛さん、がんばってね」と声をかけられます。「ちょっと待ってよ」と思いますね。
 「がんばれ」と声をかける前に、まず自ら何かをやってみること。ささやかでもいいからみんなが自分でアクションを起こせば、私たちはいつでもつながることができます。
 

                                                      

私は、殺す側になるのも殺される側になるのも絶対にいやだ。
誰かを見殺しにするのもいやだ。
そういうのは、絶対にいやなんだと、もっと徹底的にあらがってもいいと思っている。

やるかやられるかという論理ではなく、別の方法、第三の選択を考えなくてはならない。
辛さんの言うとおり、9条を使うことで日本はよりポジティブな形で国際社会に貢献できる国になりうるのではないか。
9条を持っている日本だからこそできるやり方を模索すべきなのではないか。
他国のものまねをして安易に9条を放棄するのではなく。

常にまっさきに切り捨てられるのは、弱い人間だ。
国は守ってくれない。
香田証生さんがイラクで人質になったとき、「なんだ、プー太郎か」と国会議員たちはつぶやいたという噂を聞いた。
プー太郎は殺していい。
役に立たない人間は死んでもいいという考え方だ。
国だけではなく、一般の人にまでそういう考え方が蔓延している。
でも、自分だっていつ職を失うかもしれないし、病気になるかもしれない。
そしていずれにせよ誰だって、遅かれ早かれ、老いて死ぬ。
そのことに想像をめぐらせてみることは大切なことだと思う。
自分だって、切り捨てられる側の人間になる可能性があるのだということを。

リストラで自殺するのは自己責任なのか。
リストラの自殺と、プー太郎やホームレスは死んでもいいという発想は、根っこの部分でつながっている。
自分だけだいじょうぶなんてうかうかしていると、だいじょうぶな人間は殺し合いの武器にされる。
そんなのいやだよ、って、声をあげていいんだと思う。
(少なくとも、私はいや。)

殺す側にも殺される側にもなりたくない。
誰も見殺しにしたくない。(敵であっても味方であっても。)
私が求めているのは、すごくシンプルなことだ。

そうならないですむ選択があるという可能性に思いをめぐらせてみること。
もし国際社会にその手本がないのであれば、私達が9条をてこにして、新しい平和解決のモデルをつくっていけばいい。
楽観的だと思われるかもしれないけれども、まず思ってみないことには戦略も浮かばない。

不安や恐怖から発想するのではなく、希望から発想することを私は選びたい。

                                 

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2006年6月15日 (木)

マガジン9条

WEBサイト『マガジン9条』 の「この人に聞きたい」のバックナンバーから、辛淑玉、ソウル・フラワー・ユニオンのヴォーカリスト・中川敬、脚本家・演出家の鈴木聡の記事をプリントアウトして読んだ。
(バックナンバーは以下↓)
http://www.magazine9.jp/interv/bk_index.html

非常に面白かった。
どんな風に面白かったかは、また明日。
もう寝よう…。
明日晴れたら、畑に収穫に行かなくちゃ。

                                     

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2006年6月14日 (水)

便利な世の中

便利な世の中になったもんだ。
行きたかったシンポジウムの映像も、見たかったテレビ番組も、ネット上で見れるとは…。

6月6日東京・文京シビックホールで行われた公開シンポジウム『おかしいぞ警察・検察・裁判所Ⅳ』 を以下で見ることができる。安田好弘弁護士の講演もある。
http://www.videonews.com/sympo_jurisdiction4.html

                                                            
6月11日(日)に放映された「たかじんのそこまで言って委員会」2時間スペシャル(よみうりテレビ)も以下で、見れるんだよねぇ。

司会 やしきたかじん、辛坊治郎(読売テレビ解説委員)
パネラー 三宅久之、田嶋陽子、森達也、勝谷誠彦、宮崎哲弥、橋下徹、桂ざこば、飯星景子
ゲスト 鈴木邦男(ジャーナリスト、右翼団体一水会元代表)
テーマ 「日本の右傾化?」

http://www.youtube.com/watch?v=pxe7JFp7wqU&search=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93

http://www.youtube.com/watch?v=2ox5OMjbYb4&search=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93

http://www.youtube.com/watch?v=Zsef0xdhg50&search=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93

http://www.youtube.com/watch?v=-nRqHM3jXGg&search=%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93

私は畑や田んぼに追われていて、見る時間がつくれずにいるんだけど。

                                    

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2006年6月 9日 (金)

もういい加減にやめてくれ

寝るつもりだったけど、どうしても書きたいことが出てきた。

私は新聞を読まず、テレビもあまり見ないから知らなかったのだが、綿井健陽のブログに以下のようなことが書かれていた。

                                                   
「メディア制裁システム」
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-06-08

この記事、本当にいいから、是非読んで!
                                                         

秋田の殺害事件のこと、知らなかったんだけど、またすごい魔女狩りが始まっているみたい…。

当然、秋田の殺害事件に関しても書かれているが、http://htkv.blog68.fc2.com/blog-entry-11.html 結構いいところを突いているなあ。「1.加害者の生い立ちを中心に報道→加害者のマイナスイメージの固定  2.近所の話→憶測・推測を させ、情報が独り歩きし始める」の部分は僕も納得。これっていまのテレビの「犯罪報道の典型」だ。
(中略)
特に今回は警察が逮捕する前から、取材現場にいたメディアが「犯人を確信」したからなのか、よけいに「我々が犯人を最初から追っていた」「こんな女がこんなことを言っていた」とばかり大々的に「メディア制裁」をやっている。
いくらなんでも、ある「限度」を超えてないか?そこまで「殺到」して、「容疑者を社会的に殺す」ことはOKなのか?

                                             
「同じことの繰り返し」
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-06-09

前回の続きだが、やはり「東京新聞」の特報部だ。いち早く秋田の殺害事件での「メディアスクラム」の現状を伝えている。http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060608/mng_____tokuho__000.shtml これを読む限り、想像以上にひどいことになっている。いま現場でカメラを向けているその向こうで、遅かれ早かれ誰か死ぬぞ。同じことの繰り返し。

                                                      
メディアは、もういい加減にしてくれ!
耐えられない。
魔女狩りみたいに吊るしあげていくのが、報道なのか!?


                                     

                                                                      
以下は、私が昨年自分で発行していたニュースレターからの引用。
(自己責任バッシングについて書いた記事からの一部引用。)
                                             

吊るし上げをする社会への違和感

自己責任バッシングの最中に感じた「孤立感」を、今までにも感じたことがあった。今までにも何度も、同じような「違和感」や「孤立感」を感じていた。それを感じるたびに、自分がおかしいのだ、自分が間違っているのだとして、その感覚を封じ込めようとした。
自分の意見を言うことが苦手だった。自分の意見や考え方は異端で変わっていて間違っていて、だからそれを言葉にしてはならないのだ、とそんな風に思いながら生きてきた。もしもそれを言葉にしてしまったら迫害される。少し妄想的かもしれないけれどもそういう感覚があったのだ。
私はフリーライターとして原稿を書く仕事をしていた。だけれども、自分が本当に感じていることや思っていることについては原稿に書いたことがなかった。そんなことを書いても受け入れてくれるはずがないと思い、こういう時ふつうの人ならどう思うのだろう、どう感じるのだろう、どんな風に書くのが無難なのだろうと想像しながら原稿を書いていたのである。一般論を言葉にしている私と、心の底で別の本音を抱いている私。そのふたつにいつも引き裂かれていた。自分の中にむくむくと湧いてきてしまう「違和感」。社会が常識としているものや、他の人たちの反応に対して感じる「違和感」。それは私にとって邪魔な感覚だった。

過去にさかのぼれば、オウム事件の時にもやはり今回と同じような「違和感」と「孤立感」があった。強烈な違和感だった。
オウムも確かにこわいのかもしれない。こわいに違いない。でも、世間のヒステリックな反応のほうがオウム以上にこわかったし、それを言葉にすることさえ禁じられているような雰囲気があった。多分、当時と同じ反応が今でも主流なのだろう。
遺族のことを考えたことがあるのか。よくそんなことが言えるな。お前はテロを容認するのか。相手は殺人集団なんだぞ。
ほんの少しでもオウムの側に立った発言をするだけで袋叩きにあいそうな雰囲気だった。まるで言語統制が敷かれているようだった。そして実際に、友人や周囲の人間と小さないさかいを重ねた。
もっと前にさかのぼれば、江川卓の騒動や、三浦和義ロス疑惑があった。
江川卓の騒動は記憶にあるだろうか。ずいぶん前の出来事だから、若い人は記憶にないかもしれない。野球選手の江川卓が、野球の規約のすきまをぬって巨人軍に入団したとして日本中から叩かれた事件だ。当時、中学生か高校生だった私は両親と一緒にテレビを見ていて、メディアの言葉を鵜呑みにして江川批判している両親に対する疑問や違和感を抑えることができなかった。
誰かを吊るし上げて、自分のなかにある不満やフラストレーションのガス抜きをしているだけにしか思えなかったのだ。誰かを見つけてきて魔女狩りのように吊るし上げて楽しんでいるだけではないのか、そんな風に感じていたのだろう、たぶん。当時の私はこんな風には言語化できなかったのだけれども。それと同じような感覚を、ロス疑惑の時にも感じた。(あの騒動はいったい何だったのだろう?三浦和義に対しては結局「無罪」の判決が出たけれども、あのお祭り騒ぎのような報道を繰り返した人たちは、どんな気持ちで無罪判決を聞いたのだろう?)

オウム以降で言えば、神戸の酒鬼薔薇事件、鈴木宗男議員の一件、浅田農産の会長夫婦が自殺した時、そして今年のIR西日本の脱線事故。……あの熱狂は何だったのだろうか。
酒鬼薔薇事件の時は、たぶん日本全体が恐怖に陥ったのであろう。少年がなぜあんなに残酷な事件を犯しうるのかと。理解しがたい恐怖に遭遇すると、異常なモンスターがやった行為として人は納得したがる。
酒鬼薔薇事件が起こった頃、オルタナティブ・メディスンについて原稿を書いていた私は、スピリチュアルヒーリングを勉強する集まりに参加していた。勉強会のあと数人でお茶を飲んでいる時、そのうちのひとりがこう言った。どうしてあんな残酷な事件を犯す人間が存在するのか理解できない、と。ねぇ、人間はつい最近まで戦争でもっと残酷なことをいっぱいやってきたんだよ。どうして理解できないの?自分はそういう邪悪さとはまったく無縁の美しい霊的な存在だと言わんばかりの態度が私はどうしてもがまんできないんだよ。強い苛立ちとともに心の中でそう毒づいている自分がいた。

辻本清美は嫌いじゃない。でも鈴木宗男に対する国会でのあの態度は違うんじゃないだろうか。そう思う。鈴木宗男ひとりが悪者じゃないのに。鈴木宗男はスケープゴートだ。それなのに「疑惑の総合商社」とか「私をお母さんだと思って質問に答えてください」とか、そういう言い方はどうなのだろう。でもそれすら言葉にできない雰囲気だった。
世論が誰かを悪者と特定したら、一市民はそれに反論したり口出ししたりしてはいけないのだ。悪者や加害者や責任者は、徹底的に完膚なきまでに糾弾されなければならない。絶対に許してはならない。それに加担するものも許さないという目に見えない弾圧。
自分がそんなに強い人間じゃないことを私は知っている。いつ間違えるかわからない弱い人間だ。世の中の流れに乗ってわけもわからぬまま、上司に命令されるままに、無自覚に悪いことに手を染めてしまうことだってありえない話ではない。周囲の人間の期待に応えようとして、疑うこともなく、何も考えずにやってしまうのだ。イイコをやり続けてきた自分に置き換えてみて、そう思ってしまうのだ……。

もちろん悪いことは悪い。犯罪は犯罪だ。だが、誰かひとりに責任を押し付けてスケープゴートにしていたのでは同じことが永遠に繰り返される。JR西日本の脱線事故が起きたとき、運転士やJR西日本に責任があるかのような報道が続いていた。まるで鬼の首を取ったかのように、ここぞとばかりJR西日本サイドを責めていた。運転士の両親に電話をかけて、どう考えても答えられないような質問を繰り返していたテレビ関係者の口調がまだ耳に残っている。あの親だって、自分の子供を失った悲しみに引き裂かれているというのに。
誰かひとりが悪いのだろうか。あるいは特定の企業だけが悪いのだろうか。私にはそうは思えないのだ。この世界は有機的につながっている。経営や効率を追い求め、利益や競争を優先する社会をつくってきたのは、わたしたちひとりひとりではないのか。自分もそのゲームにのっかってその恩恵を受けてきたくせに、ひとたび事件が起これば、自分とは無関係なエゴイスティックな人間が引き起こした理解不可能な事件であるとして自分から切り離そうとする。だが、本当にそうなのか。

鳥インフルエンザの事件のとき、浅田農産の会長夫妻を追いつめて自殺させたのは誰なのか。あの結末に私は胸がしめつけられるような思いがした。まるで自分の親が自殺したような気分だった。
高度経済成長のなかで私たちは効率や利益を優先して生きてきた。たぶん、浅田農産だけでなく他のところも大なり小なりそうだろう。私の親もそうやって生き、私を今まで育ててきたのだ。近代化という社会や経済のありかたの歪みがあのような形で表れたのだ。個人を責めればいいという問題ではない。個人だけの責任ではない。自分だってそのような社会のあり方から恩恵を受けていたのだ。そしてあの事件は、自分たちの生活を根本から考え直さなければならないという警告ではないのか。
この事件について平和運動をやっている人間と話をしたことがある。もしこれが自分の親だったらと想像すると胸がしめつけられる私は言った。しかし彼は、二次被害・三次被害が出たかもしれないのだから仕方ない、そういう人間は死んでもいいと言い、その言葉に絶句した。それじゃあ、9・11以降のアメリカと同じじゃないの……?

(中略)

犯罪という事態の重さや被害者の苦しみをを知っていればいるほど、加害者に対しても思いを馳せてしまう自分を許しがたく感じ、引き裂かれるような感覚を味わう。その宙吊りのなかにとどまり、なおかつ思考し続けるのはたやすいことではない。

共感するということは、迷い葛藤し煩悶し、両者の間に立って引き裂かれている自分を受け入れることなのだ。善悪のモノサシで裁くのはたやすい。ずっと楽だ。だから時々、考えることも感じることも一切やめたくなってしまうことがある。ロボットになって、誰かが決めてくれて、社会のやりかたに無条件に従って、何も考えずに生きていられたらどんなに楽だろうかと思うこともある。

実際に私はある時期そうやって生きていた。競争原理のなかで、自分の思考や感覚を停止させ、そのゲームのなかでロボットのように生きようとした。その結果ウツになった。何も感じなくていいように自分で自分を麻痺させたのだ。感情を感じる機能を停止させると、やっかいな感情を感じなくてすむ。だが同時に喜びや感動も感じなくなるのだ。生きること自体が機械化され、生活から生彩さが失われ、なぜ生きているのかがわからなくなってくる。

その私を目覚めさせたのは、ウツになって訪れたグループセラピーで出会った仲間たち(その多くはサヴァイヴァーだった)の言葉だった。しぼりだすような、とぎれとぎれの言葉。冗長でわかりにくい言葉の断片。その言葉の断片をなんとかして理解したいと思ってつなぎ合わせていく間に、麻痺して停止していた私の感情や感覚がじょじょに息を吹き返した。それは理屈ではない。善悪ではない。大義ではない。人の痛みをただ受け止め、それに伴って引き起こされる自分自身の「痛み」や「葛藤」を取り戻していくプロセスだった。

違和感があると確かに生きにくい。でも、違和感は私にとって手がかりなのだ。違和感はいつも、自分をごまかすなというメッセージを私に突きつけてくる。

                                    

                                    
                                    

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2006年6月 6日 (火)

うぅ…忙しい…

なんかやたら忙しい…。

借りている畑で、小松菜とほうれん草の収穫が始まり大豊作なのは嬉しいのだが、収穫した野菜の泥をひとつひとつ落として洗って、食べきれない分は下ごしらえして冷凍するだけでもひと仕事だ。
だって、ものすごい量なんだもん。
葉物だとすぐにしんなりしてしまうから人におすそ分けするわけにもいかないし…。

7月の頭には篠笛の発表会がある。
それなのに、ほとんど笛にも触っていない。
どうしよう…。

発表会では「竹田の子守唄」を吹く予定。
「竹田の子守唄」は、京都にある竹田という被差別部落から生まれた子守唄。
被差別部落の歌だということで放送禁止歌に指定されているということは、森達也演出のテレビドキュメンタリー『放送禁止歌』で知った。
私は高校時代に部落差別の本を色々読んで、なんで差別が生じるのだろうと悩んだことがあり、だからそういう出自の歌なのだということを知ってから「竹田の子守唄」という歌に親しみを覚えるようになった。

なので、笛の師匠に、私は発表会で「竹田の子守唄」を吹きたいと自ら申し出たのだ。
しかし、暗記しなければならないらしいが、ほとんど練習もしていない。
これでだいじょうぶか、私?
明日には練習する。絶対する。だって今は深夜だから笛が吹けないから。

「竹田の子守唄」を、ベトナムの民族衣装であるアオザイを着て、日本の楽器である篠笛で演奏する。この確信犯ぶり、発表会に来る人にはわかるかなぁ…。

でも、もともと芸能をやる人というのは、河原乞食といわれ被差別階級であったわけだ。
聖と賤とが表裏一体になっていて、その両方を行き来できる人たち。
私の師匠も「白拍子」とか「くぐつ」とかそういう世界が好きな人なんだよね。

私もいま、網野善彦の『無縁・公界・楽』『中世の非人と遊女』を読んでいるところ。

「竹田の子守歌」については、以下のサイトに詳しく書かれていた。
http://www.beats21.com/ar/A01032801.html

                                                                        
そんなわけで、畑の収穫が始まり、笛の練習もしなければならないというのに、6月下旬には沖縄の西表島に行くことになり、航空券の予約やら宿泊の手配やらそんな用事もはいってきた。
6月中には、田植えもあり、「ヨコハマメリー」や「かもめ食堂」や「花よりもなほ」も観たい…。
うぅ、なんだ、忙しさの原因は全部遊びじゃないか。いや違う。私にとっては遊びじゃない。いやそれも違う。私にとっては生きることそれ自体が遊びなのだから、それでいいのだ。
忙しさの言い訳を、自分で自分にしたって仕方ないな…。

                                                             
それにしても、6月2日の共謀罪のどたばたもすごかったが、テレビコメンテーターのコメントにもびっくりぎょうてん。
報道ステーションで古館一郎の隣に座っている人や、木村太郎のコメントはひどかった。
まともだったのは筑紫哲也だけ。
どんな風にヘンだったかを書いている余力も時間も今はないが…。

6月2日のことについては、保坂展人さんのブログ、席組長のブログが興味深い。

保坂展人のどこどこ日記
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7d48adbec5c09218dd8fade71d4d96ac
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/cdf9cfa2c31cf1a22a9d8b3529387398
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7ee2edf8572dd2e395969404c09ec96f

関組長の東京・永田町 ロビー活動日記blog版
http://sekigumi.ti-da.net/e827129.html

                                                      
それから、先日テレビをつけたら「世界がもし100人の村だったら4」というテレビ番組の宣伝が流れていた。
私は「世界がもし100人の村だったら」という英語の子供向けの絵本が好きだったので興味深く思ったのだが、なんとそこには安倍晋三がゲストとして出演し、涙を流している姿が…。
茶番だ。

と思っていたら、綿井健陽氏がそれについて書いていた。
余りにおもしろいから、引用させていただく。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-06-04

で、その日の裏番組で「いま現在のテレビ」が何をやっていたか。

「安倍官房長官悲しむ!! カカオ農園で働く6歳」(新聞のラ・テ欄から)
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2006/06-176.html

こんな番組を作っている人たちは、安倍長官をゲストに呼ぶことに同意したスタッフは、栄文さんが飛び込んだ川に1500回ほど飛び込んでから、テレビのお仕事をしましょう。あなた方は「アルツハイマー病」なので、いますぐ脳に電極棒を入れてもらいましょう。まずは横浜の「放送ライブラリー」にいって、栄文さんの過去の放送番組を見てみよう。「RKB毎日放送」で検索すれば、いくつか見ることができる。http://www.bpcj.or.jp/ 人に言う前に、まず自分から観ようっと。番組リストはこちらをご参考に→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%A0%84%E6%96%87

                                                                              
6月3日のブログに書いた佐藤優氏の安田好弘論はきのう読んだ。
私と佐藤氏の考え方が色々違っていて、そこが興味深い。

私は安田好弘弁護士と感じ方や考え方がよく似ていて、だから彼の言っていることが手に取るようにわかる。
だが佐藤優氏は、安田好弘弁護士とはまったく違うタイプだ。
それゆえ、私が安田弁護士を見る目線と、佐藤氏が安田弁護士を見る目線がかなり違っていて、そこがある意味おもしろい。

佐藤優氏は、安田弁護士の言っていることは左翼以外の人間にはわかりにくいのではと書いているが、安田弁護士の考え方というのは左翼の人はむしろ受け入れがたく感じるのではないかと私は思う。

私は精神療法を勉強した人間なので、だから安田弁護士の言っていることがすごくよくわかるのかもしれない。
安田弁護士の思考というのは、目前の相手の言葉の下に何があるかを必死になって読み解こうとしてきた人の思考方法なのだ。

そのへん、時間をつくって掘り下げて書いてみたい。

でも、明日はそれよりもなによりも、篠笛の練習をしなければ。
こんなこと書いている場合じゃない。

                     

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 Book 無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和

著者:網野 善彦
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中世の非人と遊女 Book 中世の非人と遊女

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2006年6月 1日 (木)

共謀罪その他の情報転載と、映画「ククーシュカ」

共謀罪法案の急転について、保坂展人さんが書いています。

「共謀罪「民主党案丸飲み」で宙返り採決か」 
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/ab54e4ab64b7f41fcc8763df3019d3d5

                                                                                                                     
それから、さきほどの記事で情報を転載させていただいた関組長のブログに、「ついに【憲法改正の国民投票】が」とあったけれども…。

「マガジン9条」から届くメルマガに以下のように書かれていました。

がぜん盛り上がってきたワールドカップ気分だけれど、
重要法案おてんこ盛りの、終盤国会のこともお忘れなく!
特に衆院に提出されちゃった、
「国民投票法案」いったいどうなっちゃうの? 
これはもう、直接、国会中継を見るべし。
(中略)
そして緊急コーナー【6月1日の国会は見逃せないぞ!】を開設。
国会は、最近の天気模様同様、
「なし崩し」的に様々な重要法案が提出され、
採決されそうな危うさ。是非、ウオッチしてください。

                                                      
「マガジン9条」のWEBサイトは、 http://www.magazine9.jp/

                                           
WEB「マガジン9条」からも情報を転載します。

「6月1日(木)の国会は見逃せないぞ!」
http://www.magazine9.jp/kokai/index.html

【伊藤真のけんぽう手習い塾】
第十五回 国民投票法について(その2)
「憲法改定のための国民投票は、誰にとっても平等に働くのか?」

http://www.magazine9.jp/juku/index.html

                                                       
私もよくわかっていないので、情報の転載ばかりで恐縮です。
                     

                                     
きのうは「ククーシュカ ラップランドの妖精」という映画を観てきたから、その感想を書こうと思っていたのだけれども、なんかそういう気分じゃなくなったナ。

でも、素敵な映画だった。
自分が想像していた映画とはまったく違っていて、自分の想像よりずっとずっといい映画だった。
ピュアでスピリチュアルな映画を想像していたのだけれども、人間臭くて、地に足のついた映画だった。
女性をこういう風に描く監督って好きだなぁ。
ロシアの映画だからなのか。
ハリウッド映画だったら、同じ設定だとしても、こんな風には描かれなかっただろう。

女性が自分の欲望をストレートに表現する。
だが、少しもいやらしくない。

映画監督・井筒和幸がほめていたから観たんだけれども、井筒がずっと前に絶賛していた「ハンディッツ」とどことなく似ているような気もした。

女達がひとりの男を共有するという設定を描いたのは浜野佐知監督だけれども、女ひとりに二人の男っていいかも。
などと思ったりして(笑)。
「ハンディッツ」もそうだったけど。(「ハンディッツ」もすごく好きな映画。)

井筒って無頼派を気取っているけど、けっこうフェミニストなのでは、などと思ったりした。

もう少し詳しい感想、明日以降に書けたら書くかもしれない。

                                                            
「ククーシュカ ラップランドの妖精」のサイト
http://kukushka.jp/

「ククーシュカ ラップランドの妖精」を観た、井筒和幸の感想
http://www.tv-asahi.co.jp/tiger/contents/100/099/jibara/index.html

映画「ハンディッツ」について↓
http://www.h2.dion.ne.jp/~mine/movie-0398.htm

                                          

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2006年5月31日 (水)

マジですか

今、森巣博をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べたら、
「妻はオーストラリア国立大学教授のテッサ・モリス=スズキ。しかし森巣自身が公式の場で認めたことはない」とあった。

マジですか?

私、テッサ・モリス=スズキの大ファンです。
                              
以下のアドレスに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の全文。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B7%A3%E5%8D%9A

                                 
以下の紹介文もおもしろかった。

カジノで20年生きた男
ギャンブラー・森巣博(もりす・ひろし)

http://ch-k.kyodo.co.jp/17kyodo/backnumber/backnumber2001/job/job17.html
                     

                                  
森巣博を検索していて、ぐうぜん森達也のラジオ番組のページを発見。
下記のアドレスから、過去に放送されたトークの音声ファイルがダウンロードできる。
森巣博と森達也のトークも聞ける。
http://reco.jfn.co.jp/podcasts/tokyo/mori/
                             

実際にオーガニック料理を食べながらのおしゃべりとあるが、その料理をつくっているのは、私もときどき行く南欧食堂「La毛利」のシェフ。
前回、酒飲み5人で伺ったときは、ワインいっぱい飲んで、長居してごめんなさい。

「La毛利」のHPは以下。
http://www.la-mouri.com/

                 
あぁ、もう寝なきゃ。

                                

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2006年5月28日 (日)

新右翼・鈴木邦男の「誰が愛国心を教えるのか」

新右翼・鈴木邦男のホームページの中の「今週の主張 5月15日 誰が愛国心を教えるのか」はおもしろかった。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2006/shuchou0515.html

「どうしても「愛国教育」をしたいなら、「愛国教育者」の資格検定をやったらいい。それに受かったら、一級愛国士、二級愛国士、三級愛国士になれる。」だとか、「どうせなら、「義務教育」もいらないんじゃないか。」とか、色々ユニークな提案がされていた(笑)。

いいなぁ、鈴木邦男。
いい味だしてるなぁ。

『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書、700円)という彼の新しい本が出たらしい。
おもしろそう。
読んでみよう。

上記HPの記事で、自著について、鈴木邦男はこう記している。

凄いタイトルですよね。編集者としては、依然としてあったんですよ。「本物の愛国者・鈴木」が「ニセの愛国者・オタク愛国者」を斬る!という目論見が。でも、書きながら、私の頭にあったのは、「愛国者・鈴木邦男は信用できるか」でしたね。自己批判の本になっちゃった。やっぱ、自虐本だ。そして、「自虐?いいじゃん」となっちゃいました。

                                                   
この記事のなかで触れらていた小熊英二『日本という国』(理論社)や足立正生監督の映画『幽閉者』もおもしろそう。

                                          

愛国者は信用できるか Book 愛国者は信用できるか

著者:鈴木 邦男
販売元:講談社
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日本という国 Book 日本という国

著者:小熊 英二
販売元:理論社
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2006年5月27日 (土)

言葉のリアルな手触り、そして野宿者のこと

「殺されてから花を投げても遅すぎる」(junippeの日記)
http://d.hatena.ne.jp/junippe/20060524
というブログの記事に心を動かされた。

以下に、一部引用させていただく。

                                                         
二つ目は、杉田さんがぐったりしていた件についてです。私も今かなりぐったりしてます。いや、杉田さんはいろんな重要なことを仰ってました。(中略)でも私はぐったりについて書きます。とにかく目の前で杉田さんのお話を聞いていて、すごくぐったりしているように見えたわけです。

私は大学を卒業してから働けないことにずっと苦しんできました。働けないことが苦しいことの最大の理由は「働かなければならない」という価値観を自分が強固に持っており、働かないことがひたすら恥ずかしかったことです。今でもそうした価値観が完全に消滅したわけではないけど、羞恥心は幾分かは緩和されました。

                                                
なぜかわからない。
でも、この人の語りを読んでいると、ものすごく心が揺さぶられるのだ。
「ぐったり」という言葉。
「でも私はぐったりについて書きます。」という言い回し。

何かを強く主張しているのではない。
でも何かが強く伝わってくる。
こういう語りでしか闘い得ないのではないか、と、思ったりもする。

真摯さ。
人が語る言葉のリアルな手触り。
私にとっては、それだけがいつも入口になる。

この人のブログを読んで、生田武志氏と杉田俊介氏の著作を読んでみたいという気持ちになった。

                                                                        
「野宿者」のことは、ずっと以前から考えてみたいと思っていることのひとつだ。
炊き出しに行きたいと思いつつ、自分の心身の体調がいまいちなため、ずっと行けずにいる。
野宿者のことは人ごととは思えない。

以前、知人が「ホームレスは社会の役に立たないのだから死んでもいい」と言った。
上智大学を出て銀行に勤めていた女性の言葉だ。
彼女とはそれ以来、一度も会っていない。
でも、彼女の言葉はずっと私の心に突き刺さったままだ。

社会の役に立つって、どういうのが役に立っているといえるのだろう。
私は役に立っているのか。(もちろん、まったく役に立ってない。)

私も長い間ウツだった。
ウツであるとき、自分はこのままホームレスになってしまうのではないかという恐怖にいつも怯えていた。
自分の中にも、そういう恐怖や不安が植えつけられている。
そしてああいう風になったらおしまいだという差別意識もきっとある。
まだうまく言語化できない。

たぶん、まだ向き合えずにいるんだ、そういう自分の気持ちと。

それだからこのブログに心がゆさぶられるのだろうか。
あまりの等身大で率直な言葉の手触りに、心がざわざわする。

                                          

Book 「野宿者襲撃」論

著者:生田 武志
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フリーターにとって「自由」とは何か Book フリーターにとって「自由」とは何か

著者:杉田 俊介
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2006年5月24日 (水)

「安田弁護士批判に応えるトークイベント」の報告と感想、やっと書きました。

5月13日土曜日に、新宿・ネイキッドロフトで行われた「人権派弁護士批判に答える」という緊急トークイベントに参加たということは、以下の記事で書いた。

5月13日 (土) 「安田弁護士批判に応えるトークイベント」に行ってきた!
http://nervous-frog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8354.html

5月15日 (月) 安田好弘弁護士バッシングについて
http://nervous-frog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_43f3.html

感想を書きたいと思いつつ、忙しくて書けないまま既に10日間が経過。
いまさら…という感じもしないではないが、報告や感想やらを少し書いてみたいと思う。

                                                   
ちなみに、「Kawakita on the Web」の以下のアドレスでイベントの内容が詳しく書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060513
安田弁護士バッシングの原因となっている、安田弁護士が2006年3月14日の第一回の口頭弁論に欠席した経緯も詳しく記述されています。

                                    
また、関連記事は以下をご参照ください。

「安田弁護士続報」(元検弁護士のつぶやき)
http://www.yabelab.net/blog/2006/05/18-014800.php

「究極の選択」を迫られる弁護士
http://benli.typepad.com/annex_jp/2006/03/post_12.html
↑上記の記事は、とても心に残る内容だったので、以下に一部分引用させていただきました。
全文は、上記アドレスでご覧ください。

したがって、このような状況に置かれた弁護人として、弁論期日の延期を申し出ることは当然といえます。
 裁判所としては、このように既に長期にわたっている事件について、今更判決言渡期日が2ヵ月程度のびたところでそれほど本質的な問題はないので、本来、延期申請に応ずるべきであったと言えます。
 しかし、裁判所が延期申請に応じなかった場合、弁護人としては、とりあえず2週間でできる範囲内の書面を書いて提出してお茶を濁すという選択肢と、弁護人が出廷しなければ弁論を開けないということを利用して敢えて弁論を欠席するという選択肢があり得ます。
 私は、上記のような「究極の選択」を迫られたときに、前者を選択する弁護士より後者を選択する弁護士を高く評価するのですが、そうお考えにならない方も少なくないようです。しかし、後者を選択することは、別に被害者の遺族を侮辱することでもなんでもないと私は思ってしまいます。精一杯被告人を弁護することが被害者の遺族を侮辱することであり許されないことだというのであれば、「弁護士による弁護」というシステムを刑事裁判制度からはずして頂きたいと思います。

                                                  
さて当日の様子ですが、発言者は、宮崎学(作家)、魚住昭(ジャーナリスト)、二木啓孝(日刊ゲンダイ)、宮台真司(社会学者)、佐藤優(外交官)、佐高信(評論家)、中村順英(日本弁護士連合会前副会長)。(敬称略)

ふだん新聞も読まず世の中の事象にうとい私は、佐藤優という人のことを知らなかったので、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』調べてみました。

埼玉県生まれ。埼玉県立浦和高等学校、同志社大学神学部卒業。同大学院神学研究科修了後、1986年ノンキャリアの専門職員として外務省に入省。1988年から1995年まで在露日本大使館三等書記官。その後国際情報局分析第一課へ勤務。主任分析官(課長補佐級)として活躍。
2002年2月22日、外交史料館へ左遷される。2002年5月14日、背任容疑で逮捕。同年7月、偽計業務妨害容疑で再逮捕。2004年10月、保釈。2005年2月に執行猶予付き有罪判決を受ける(現在控訴中)。一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕や背景などをつづった『国家の罠』を出版し大きな反響を呼んだ。
外交の第一線で得た経験と該博な知識を生かし、新聞・雑誌などに外交評論を多数執筆している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%84%AA_%28%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%29)

                                 

                                                
★まず、トークイベントで心に残った発言内容を以下に記してみたいと思います。

(なるべく、「Kawakita on the Web」の中で書かれていないことを。)

「Kawakita on the Web」のまねをして、私も明記させていただきます。
※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。
また、当日つけていた簡単なメモだけをたよりに書いたものなので、間違っている可能性もあります。

                                                 
佐高信については、自分のブログでちょっとだけ触れたことがあるけど、
http://nervous-frog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_6b2b.html
このイベントの帰りに思わず「週刊金曜日」を買ってしまった。
(佐高信さんは「週刊金曜日」の社長。好きだな、この人。)

●佐高信が言ってたこと。
人殺しをいつまで弁護するのかという論調がマスコミにある。
誰かが言ったことに対して、自分も遅れないように声を上げるそのお先棒を新聞記者がかついでいる。
自分の頭で少しは考えてみろ。
新聞記者はゆすり・たかり・強盗の類なのに、その覚悟がなく、自分は上品な仕事をしていると錯覚している。
そもそも善悪って誰が決めるのか。それを考えていくことが必要。
何でもかんでも安田に持っていくけど、安田を限界以上に闘わせてはだめ。

                              
●宮台真司が言っていたこと。
不安になった人をあてこむ不安産業がマスコミと政治家。
メディアは不安を増幅している。
安田さんや麻原弁護団にやることが集中しすぎていて、メディア戦略に手がまわっていない。
人が足りない。我々がコネクションをつくってやっていかなければならない。
司法修習生にもイエスマンが増えていて、検察や司法もポピュリズム戦争(人気戦争)に抗いがたい状況にある。
左翼の権力観のように、権力は一枚岩じゃない。
今は、情報管理行政の利権が問題。
大ボスがいなくて、不安をベースにした草刈場的なゲームを、政治家・マスコミ・民間・官僚の4者がやっている。


情報管理行政の利権という辺りのことは、竹山徹朗氏のブログに詳しく書かれています。

▼宮台真司は、ニッポンには「歴史的リソース」=「国民が連帯して国家をねじ伏せた経験」を持たない、という決定的な弱点があり、それをカバーするためにも個人的に「国権的ゲームを行えるネットワークを構築するために努力しているが、未だ非力である」という、従来の彼の言論を再説していた。
▼また、「情報管理行政」、そしていわゆる「不安産業」の一環として、保坂展人らが追及している、アメリカ企業が拡大している「入管生体情報」をめぐる利権についても紹介していた。
詳細は、http://takeyama.jugem.cc/?eid=525#sequelで。

                                          

佐藤優さんは、4年前の5月14日にぱくられたそうだ。
だから言ってることにすげぇリアリティがある。
「アエラ」がまず佐藤さんを叩き、それから「月刊現代」と続き、翌年大きな事件に発展したのだと。
母胎となったのは、「アエラ」の記事なのだと。
マスコミに郵便物もゴミも盗まれたんだって。
こわい…。

                                      
●佐藤優が言っていたこと。
山口母子惨殺事件では遺族を嘲笑するような被告の手紙が出ているが、手紙は検閲を通さなければならないはず。
それなのにああいう手紙が外部に出るというのはおかしい。
死刑囚は、環境に順応するタイプと反抗するタイプに分かれる。
獄中のような環境で、過去の犯罪の反省はできない。
日本の場合は、起訴されたらほとんど有罪になる。(こんな国はない。)
弁護士が悪人を弁護しているということで叩かれるということに対する危機感は、鈴木宗男など保守陣営のほうが強い。

                         
●中村順英が言っていたこと。
いま起こっているのは、刑事弁護叩き。
善悪の二項対立が強まっている。
犯罪への恐怖心が必要以上に煽られている。
司法がポピュリズムに抗しがたくなっている。
若い弁護士ですら、倫理と法をごちゃまぜにしている。
二項対立の風潮や悪玉を排除するには何でもありという風潮の中で、向こうの正義にこっちの正義を対立させるだけではだめなんじゃないか。

                                
●宮崎学が言っていたこと。
悪人を弁護する弁護人は悪いんだから、いっしょにぱくっちゃえという世の中の動き。
テレビのコメンテーターが、テレビで先に判決を出している。
テレビのコメンテーターはそんなにえらいのか。
「人として許せない」と言うが、それを判断するのは神様しかいない。
コメンテーターが神様になっていて、八百万の神様的状況だ。

                                      
●二木啓孝が言っていたこと。
えもいえない安田さんへの圧力と共謀罪は結びついている。
個人情報保護法、通信傍受法、住基ネットなど、天井がものすごく低くなっている。
悪は徹底的に悪いというポピュリズムはテレビが醸成している。
テレビ朝日は、北朝鮮や拉致問題を一日中流している。
つぶしちまえみたいになっている。
映像のもつ訴求率の強さを、作り手は意識していない。
視聴率やスポンサーのことばかり考えていて、みのもんたに勝てるかどうかくらいの意識しかない。

                                    

色々と省略しましたが、自分の心に残っている発言だけ記しました。

その後、質疑応答の時間へ。
質問に応じて上記の発言者が色々答えているのですが、誰の発言なのかメモしそこねてしまったので、発言者の名前は省略します。

                                         
●マスコミは覚悟がないのではないかという会場からの質問に対して。

皆怒るんだけれども、自分が何かするのではなく、国家よなんとかせよとなる。
安田を許すことができなければ、じゃあお前どうするんだというところがない。それがポピュリズム。
メディアなんてもともとポピュリズム。

覚悟のある言論人ばかりだとこわい。
言論の世界はある程度ふまじめでいい。
じゃないと日本刀を持ち出すことになる。

けしからんと思うんだったら、自分に何ができるか考えるべき。

マスコミに覚悟を求めすぎる。
覚悟があるようなフリをするのが、猪瀬直樹みたいな人間(笑)。
記者に必要なのは、覚悟じゃなくて好奇心。
好奇心がなくなってきている。
他の人がみんな行っているようなところに行って商売になるのか。
産経の社長のスミタは「少数派になれ」と言った(笑)。
朝日新聞は少数派になることを怖れている。

日刊ゲンダイは、オウム事件のとき、ロシアルートなど色々なことを書いてオウム事件の外形をぼやかしてしまった。
その反省があるから、ライブドア事件については野口他殺説を一言も書かなかった。

                                     
●その他の質問などに答える形で、出てきた発言。

テレビを消して活字を読むことを、子どもに教える。
活字を頭の中でいったん咀嚼して、テレビに対する耐性をつける。

『ゾウの時間ネズミの時間』という本があるが、大衆的なクロックで生きることもできるし、人と違うクロックで生きることもできる。
皆がテレビを見ている時は違うものを選び、クロックの異なる振る舞いを選ぶ。
そのことが、尻馬勝ち馬に乗るゲームを中和させる。

テレビや活字は信用しない。猜疑心を持つこと。

メディアは疑え。新聞なんて正しいのは日付だけ。
書いてあるのは、判断材料の素材だけだと思ったほうがいい。

                                           
今起きているのは、官僚が手抜きをしはじめたということ。
厳罰化や裁判の迅速化という二大命題の実現を、今回の事件を素材にしてやろうとしている。
ライブドア事件も、目障りだからいきなりやっちゃえという手抜き。

市民が地域の住民よりも警察によって自分を守ってほしいと思っている。
プライバシーを重視するから地域内の助け合いはない。
その一方で、警察には全部知っていてほしいと思っている。
DV法やストーカー法も警察の力を肥大化させているのではないか。

吉野の後醍醐天皇陵を訪れたとき、吉野の山伏が言っていたのは、多元的なのが国体であって、人の固有性を大事にするということ。そういういい加減な国が日本であって、一元化してきれいな国にしようというのは日本じゃない。自分達は何があろうとも日本の多元性を守る。

                                          
★長くなったけれども、以上が報告です。
冒頭にも書きましたが、いい加減にとったメモとうろ覚えの記憶をたよりに書いた報告なので、間違っている可能性も多いかと思いますが、その点よろしくお願いします。

こういうイベントの記録をブログに書いていいかどうか迷いましたが、この手の情報が余りに少なすぎるので、あえて書かせていただきました。
おそらく主催の宮崎学氏もお許しくださることでしょう。

上記の報告にもありましたが、マスコミに期待したり盲信しすぎたりするのではなく、自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の頭で考え、それを自分の言葉としていくことが重要かと思っています。
なのでこのようなつたない報告ではありますが、記述した次第です。

                                         
★自分の感想

「死刑囚は、環境に順応するタイプと反抗するタイプに分かれる。
獄中のような環境で、過去の犯罪の反省はできない。」という、佐藤優氏のコトバには心動かされた。
なぜかというと、私もたぶん、徹底的に反抗するタイプだからだ。
この佐藤優氏の言葉を聞いて、被告がなぜ遺族を嘲笑するような手紙を出したのかが、ほんのちょっぴり理解できたような気がする。(だからといって、決して許される行為ではないが。)

「獄中のような環境で、過去の犯罪の反省はできない。」という言葉もうなづける。

アミティという、米国・アリゾナ州を拠点とする犯罪者やあらゆる依存症者の社会復帰を支援する非営利団体がある。
私は、ここの考え方に非常に共感する。
スタッフの多くは以前受刑者だった体験をもつ者達であり、彼らが自分の罪と向かい合いトレーニングを受けカウンセラーとなって、そして別の受刑者が心と向かい合うサポートをするというシステムだ。

以下、アミティのHPより。
http://www.cain-j.org/Amity/W_Amity.html

「警察、裁判所、刑務所と、行く先々で『被害者にしたことを反省しろ』と言われ続けてきたけど、いったい何をどのように反省していいのかわからなかった」と彼らはロにします。アミティによると、多くが子ども時代に何らかの虐待を受けており、その記憶を抑圧することによって他人への共感や反省が生まれにくい状況が作り出され、よって犯罪や自傷行為に至るのだといいます。

DVなんかでも、加害者の心の問題なんか考えなくてただ罰すればいいとかいう考え方も多いけれども、加害者や犯罪者の心の問題をきちんと見ていかなければ、犯罪はなくならないだろう。
そして更正しても、行き場がなかったら、犯罪は繰り返されるだけだろう。
そういう意味で、上記のアミティのような考え方をもっと取り入れてもいいと私は思っているのだが。

上野千鶴子さんが、加害者が自分の被害者性を認めることの意義について、『リブという<革命>』の中の「フェミニズムと暴力」という対談の中で述べている。

p45
まず、自分が被害者だということを受け入れたときに初めて、加害者だということを認めることができるようになる。順番はこの逆ではない。被害者に対する共感や想像力は、自分もまた被害者であるということを認めたときに初めて生まれる。
(中略)
自分がペイシェントであることを自覚する、自らその当事者性を引き受けるということです。DVについては本人が被害者であることを認めること事態が大仕事なんです。ましてやDVの加害者であることの当事者性の獲得はもっと困難です。

                                         

それから、佐高信氏「そもそも善悪って誰が決めるのか。それを考えていくことが必要」、中村順英氏「善悪の二項対立が強まっている。二項対立の風潮や悪玉を排除するには何でもありという風潮の中で、向こうの正義にこっちの正義を対立させるだけではだめなんじゃないか」という言葉も、心に響いた。

森達也もそれをずっと言っている。
『ご臨終メディア』では、メディア批判がなされていて、おすすめ。
そういえば、森達也と斎藤貴男がこのイベントにメッセージ出演すると告知されていたのに、なかったなぁ…。まぁ、いいけど。

                                 
私は、子どもの頃新聞を読みなさいとかよく言われたけど、結局読まないで生きてきた。
(こんなことで威張っててもしょうがないんだけど。)
だから気がつくといつのまにか少数派になっていたのかもしれない。
かつては、自分の考え方ってへんなのかなぁ、なんでこんなに異端なんだろうって悩んだこともあったけど、今回のトークイベントを聞いてこれでいいのだとへんに居直れた。
新聞も雑誌も読まず、テレビもほとんど見ず、情報は書籍によって収集し、興味のある人の話は直接聞きに行くことにしている。
だからもしかしたら、あまりぶれないでいられるのかもしれない。
そのせいで、だんだん少数派になっていって孤立感も強まっているんだけども。

                                            
それから、やっぱり、マスコミだとか国だとかに期待しないで、自分で何かをやっていくことが大事だなぁと改めて思った。
自分ひとりでは変えられないと思っているかもしれないけれども、世の中を変えていったのは、ごくひとにぎりの変わり者なのではないか。
とにかく、先入観や既成概念をはずして、自分にふさわしいやりかたでひとりひとりが情報発信したり、自分にできることをやっていくことが大事なのではないかと思う。
人に期待したりしないで。

そう思うからこそ、臆面もなくこんなブログを書いてもいるわけなのだが。

                                            
「言論の世界はある程度ふまじめでいい」という発言も共感できる。
きまじめさやストイックさって、ある意味で危険だと思う。

「吉野の後醍醐天皇陵を訪れたとき、吉野の山伏が言っていたのは、多元的なのが国体であって、人の固有性を大事にするということ。そういういい加減な国が日本であって、一元化してきれいな国にしようというのは日本じゃない。自分達は何があろうとも日本の多元性を守る」という発言もあったが、さすが吉野の山伏だなぁ。

いい加減さって本当に大切だ。
自分と他の人との違いを認める寛容さにもつながってくる。

「記者に必要なのは、覚悟じゃなくて好奇心」というのも大事なことだと思う。
関心や好奇心って、けっきょくのところ、対象に対する「愛」だと思う。
理解したいという気持ち、もっと知りたいという気持ち。それが愛なんだ。

                                             
ずいぶん長くなってしまった。
まとまりのない報告と感想だが、そろそろ犬に晩御飯をあげなくちゃ。
ほったらかしてたから、下の部屋で今吠えている。

                             

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2006年5月21日 (日)

時間が足りない…

いま、ブログを書いている時間がまったくないです。
明日は東村山に借りている畑に行かなければならないので、もう寝なきゃ…。

宮崎学氏主催「緊急!「人権派弁護士」批判に答える」トークイベントの報告や感想についても、いまだ書けないままですが、以下のブログに報告が載っていました。
なので、当日の様子については以下をご参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060513#p1

これ見て驚いたんだけど、竹山徹朗 さんがこのブログの記事に対して、以下のようにコメントつけていた。

13日のイベントは、いまのところ小誌と貴サイト、そして
「癇癪フロッグの日常」
http://nervous-frog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8354.html
の、3つのブログで紹介されていますね。
貴サイトが最も網羅されていて、勉強になりました。

自分のブログのアドレスを、はじめて他のブログで発見したぞー。
私のブログは勉強にならなくてすまんです~、竹山さん。

このトークイベントについての感想も、私が書きたいのは、参加者の方々の主張や安田弁護士バッシングについてというよりも、それに触発されてわいてきた自分の内面的な要素のほうが大きい。
私のブログは客観的事実というよりも、常に自分の主観や嗜好を軸に据えて書いているので、参考や勉強にならないことと存じますが、その旨よろしくお願いいたします。

「宮崎学を絶対視するのは危険な行為なのでは有りませんか。」というようなまじめなコメントもいただき、逆に恐縮しております。
(ちなみに、絶対視はしておりません。誰の意見であっても。私は人の意見よりも、自分のなかにわいてくるもやもやとした感覚をだいじにしております。人と違っていても。)

私はふだん新聞も雑誌も読まないような人間なので、自分が直感的に感じたことを、感じたままに書くことしかできないですが、そのように受け取っていただければ幸いです。
自分のなかにわいてきた違和感や疑問を、他者の意見と比較して抑えつけるのではなく、誠実にみつめてみたいと思っているのです。
(自分のなかの正直な気持ちや思いを偽らずに、まずそれをじっくりとながめてみたいのです。そこからしか始まらないような気がしている。)

そんなわけで、あくまでも自分の主観にのっとったイベントの感想を書きたいと思っているのだけれども、時間がとれないよー。
来週は少し時間をとって書いてみるつもり。
(もう一週間も経っているし、忘れちゃいそう…。)

                                                                                     
ちなみに、竹山徹朗 さんのブログでもトークイベントのメモが記されています。
以下に。↓
http://takeyama.jugem.cc/?eid=525#sequel

                                                                        

それから、以下はブログ「成城トランスカレッジ!」より引用。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060519

◆「誰のための共謀罪か(再放送)」
http://www.jimbo.tv/videonews/000264.php
「共謀罪問題が退っ引きならない状況に来ているようなので、去年10月に放送した海渡弁護士との共謀罪をめぐる議論を、無料で公開しました」というわけで、宮台真司さんと神保哲生さんの「丸激トークオンディマンド」が無料で公開されています。

                                                
実は私は5月19日(金)に、共謀罪に反対するため、生まれて初めて「国会前アクション」というのに参加してきました。
いや~、初体験なので、いろいろびびったよ。
それについても、来週書くつもり。
私のような人間まで国会前に行ったせいかどうかわからんけど、とにかく共謀罪の強行採決は行われなかった。

なわけで、今日はこのへんまで。

                                                      

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2006年5月17日 (水)

共謀罪の近況

ブログを書く時間がなかなかつくれない…。

「安田好弘弁護士批判に応える緊急トークイベント」の感想についても書きたいんだけれども、今はそれよりも共謀罪のほうが気になっている。

きょう(12時すぎているから、もうきのうか…)、「強行採決」の危険性があると聞いていたから、外出中も気が気じゃなかったんだが、どうやら今日はなかったようだ。

                                                                      
以下、「保坂展人のどこどこ日記」より。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/78d2fd1d74fb79bf68b47489c4620219

今日、共謀罪の強行採決は止まった。国会周辺には、反対の立場で審議を見守る人々が集まり、また全国からも激励のメールやFAXをいただいている。この場をもって感謝を表したい。

                                                                           
以下、「共謀罪新設反対国際共同署名」より。
http://www.kyoubouzai-hantai.org/news/undou.htm
http://www.kyoubouzai-hantai.org/news/kokkai.htm

5/16国会前 共謀罪反対で埋め尽くす
すごい!またしても採決をとめた!

19日(金)与党、採決絶対強行の構えか

 5/16(火)衆院法務委員会、野党質疑で終了
    参院法務委員会、指紋採取の入管法改正案可決
 5/17(水)法務委員会は中止!
 5/18(木)理事会で委員会内容確定
 5/19(金)審議内容未定。午前中にも採決?

衆院法務委員会は火、水、金です。
衆院法務委員会開催=常時採決情勢に突入しています。

                                                                                                       
5月14日(日)には、「サンデープロジェクト」で共謀罪特集の放送があったみたいですね。
この番組の内容はよかったというメールがメーリングリスト内で、行き交っていました。
その内容について記したブログは、以下。
「サンデープロジェクト」の共謀罪特集を見て
http://ameblo.jp/kyobo/entry-10012467010.html

                                                                              
また、5月15日(月)には、日本ペンクラブの声明が出されたようです。
「共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める」
http://www.japanpen.or.jp/seimei/060515.html
                                 

それから、以下は「サンデー毎日」の記事。
“平成の治安維持法”共謀罪が招く「窒息社会」
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/tokusyuu/news/20060510-211033.html
                                            

また、「保坂展人のどこどこ日記」の5月13日付の記事には、以下のような内容も。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/d2c58498c6cef70d4e87488e8a8b9415

昨日の共謀罪の強行採決に反対する院内集会は、会場を満杯にする人々の熱気で溢れていた。ようやく、採決直前にして眠っていた世論が目を醒まして、大きなエネルギーが頭をもたげ始めた。長い間、市民運動やイベントに関わってきた経験から「地の力が湧く瞬間」があることを知っている。来週から、共謀罪反対の声は大きく広がり、教育基本法改正案のうたう愛国心、そして改憲への動きと数珠つなぎになっている「小泉・自民の暴走」に対して大きな警戒感を持つ人々が結集し行動を始めるに違いない。

 インターネットの世界では、すでに「共謀罪強行採決」に危機感を抱く人々が、思い思いのメッセージを交わしあい、あるいはブログを書きまくっている。連休前からすでに始まっていたネットムーブメントは、加速度をまして広がっている。私のブログの訪問者もこの1ヶ月で倍増した。まだ、少数派かもしれない「監視社会NO」の声派、政府与党が強行採決に踏み込んだとたんに大きな奔流となって永田町に逆流してくるだろう。

                              
                                    
私の友人も、きのうは国会に行ったはず。
私も金曜日に国会に行ってみようと思っています。

国会前行動の情報は、以下をご覧ください。
http://www.kyoubouzai-hantai.org/news/housin.htm

                                     
                                         
最後に、作家・翻訳家でグリーンピース事務局長でもある星川淳さんから届いたメルマガ「屋久島発 インナーネットソース #123」より引用します。

以下のアドレスで、全文を読むことができます。
http://www.melma.com/backnumber_67106/

    共謀罪に“Say NO!”――5・17院内リレートーク

http://www.greenpeace.or.jp/info/features/civil_liberty/

日時:5月17日(水)午後2時~4時
場所:衆議院議員面会所(衆議院第一議員会館向かい国会議事堂側)
主催:「共謀罪」に反対するNGO・NPO共同声明呼びかけ人グループ

 5月17日予定
  12:00~13:00 日弁連主催院内集会(参議院議員会館第5会議室)
  14:00~16:00 NGO・NPOリレートーク集会(衆議院議員面会所)
  18:30~    超党派国会議員呼びかけによる緊急集会(星陵会館)
  →星陵会館地図 http://www.seiryokai.org/kaikan.html

▼グリーンピース・ジャパンでは15日(月)中に、衆院法務委員やマスコミ、
各党代表者に反対の声が届く新しいサイバーアクションを立ち上げる予定です。
下記URLをチェックして、準備が整いしだい、ふるってご参加ください。
 http://www.greenpeace.or.jp/info/features/civil_liberty/cyberaction/

                                              
また、上記メルマガでは、「入管法改悪」についても記されています。

どうしても気になるので、みなさんも考えてください。

 共謀罪反対でも大活躍の社民党・保坂展人議員によると、入管法改悪
の審議過程において、指紋情報・顔写真データなどの生体情報を処理す
る「認証装置及び自動化ゲート」のソフトウェア開発と実験の業務を、
わずか10万円(運営業務費用9万円・成果物作成費用1万円)でバミューダ
に本社を置くアクセンチュア株式会社が落札(平成17年9月12日)してい
ることが明らかになりました。このアクセンチュア社は、アメリカがテ
ロ対策に突っ走って導入した同種の指紋情報・顔写真データ処理システ
ムも一手に引き受け、米議会で問題視されている企業です。つまり、日
米は軍事的に一体化しつつあるだけでなく、指紋や顔写真をはじめ、生
年月日、国籍、名前などの個人情報まで共通データバンク化しようとし
ているのです。しかも、怪しげなオフショア企業一社にすべての情報を
預けるなんて、これはおかしい、あんまりだ!

▼参考情報
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/9ef564885df741578140e33449809c7b
http://www.janjan.jp/government/0605/0605090125/1.php

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2006年5月15日 (月)

アイヌの萱野茂さんを追悼する辻信一氏メール転載

赤ワインをいっぱい飲んですごく眠かったのに、安田弁護士バッシングについて書いていたら、すごく夜遅くなってしまった。
ねむい…。

寝る前に、ちょっと転載したい情報があったので、それを転載しておきます。

私はナマケモノ倶楽部の会員なので、メーリングリストでこの辻さんのメールは既に読んでいて、感動していた。
でもメールを勝手に転載するのはまずいだろうなぁと思ってがまんしていたら、坂本龍一氏が辻さんの承諾をとって転載していたので、私はさらにその坂本龍一のブログを転載しておきます。

六ヶ所村のことも、いろいろ考えたいんだけど…。
とにかく今はもう寝ます。

以下、そのアドレス。
http://blog.sitesakamoto.com/index.php?itemid=185

                                                

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2006年5月13日 (土)

「安田弁護士批判に応えるトークイベント」に行ってきた!

きょう、「安田好弘弁護士批判に応える緊急トークイベント」に行ってきた。
場所は、新宿・ネイキッドロフト。
狭い店内から人があふれ出しそうなくらい、大勢の人が集まった。
私は始まる20分くらい前に行ったのだけれども、それでも46番目。
あとからも人がいっぱい来て、店内はぎゅうぎゅうずめ。

本当はもっと早く行くつもりだったのだけれども、寝坊して、朝ごはんも食べずに慌てて行った。
結局、立ち見だったけれども、2時間立ちっぱなしでも全然疲れなかった。

久しぶりに、まともで反骨精神と遊び心のある、かっこいいオヤジ達の話が聞けた。
ナマ宮崎学、初めて見たけど、しぶくてこわくてかっこいい。

匿名で誹謗中傷するメール送ってくるな、言いたいことがあるなら直接来い、って言ってた。
宮崎学が言うとすごみがあるな~。
「京都のヤクザの組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる。早稲田大学法学部中退。大学在学中は学生運動に没頭し、共産党系ゲバルト部隊隊長として名を馳せる。」というプロフィールだけでもすごい。作家になる前は、たしか地上げ屋みたいなことやってたんだよね。

このトークイベントについては、色々と報告したいことがあるので、明日にでもまた改めてきちんと書くつもり。
私も色々と思ったり考えたりしたことがある。

                                                  
そんな感じで興奮さめやらぬまま、雨のなか新宿をひとりぶらぶらとさすらった後、さっき帰宅。
帰宅してメールチェックしたら、以前にもこのブログで紹介したことのある竹山徹朗氏が発行するメールマガジン「Publicity」が届いていた。
購読は無料。
以下のアドレスから、購読申し込みできます。
http://www.emaga.com/info/7777.html
                                                                                                       

【 PUBLICITY 】 1372のタイトルは「法匪たちの春~共謀罪と治安維持法との共通点〆安田好弘を全面擁護する」だった。

おぉ!竹山徹朗氏も安田好弘擁護派か~!(嬉)
彼のメルマガから一部引用する。

▼安田好弘。彼の名を、本誌読者はよく知っているだろう。

「オウム裁判」。麻原彰晃の元主任弁護人だ。不当逮捕で、主
任弁護人から引きずりおろされた。2001年8月、本誌第1号で取
り上げた魚住昭『特捜検察の闇』でも取り上げられていた。

昨年、本人に「フリースピーチ」登場の快諾をいただいた。不
当逮捕されて以降、安田弁護士を支える人々が出し続けている
パンフレットも全て買い、読み終えて準備万端だが、彼のあま
りの忙しさゆえ、インタビュー自体ができていない。

ちなみに昨年、「PUBLICITY」が選ぶ12冊~2005年(決定版)
の2位に、彼の『「生きる」という権利』(講談社)を選びま
した。

安田弁護士を支援する人たちが出しているパンフレットがあるのかー。
読みたい。絶対読みたい。
                                        

またこのメルマガの中で、5月9日付の綿井健陽氏のブログに書かれていたという安田好弘バッシングについての一文が引用されていた。

私もさっそくチェック。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-05-09
以下、上記のアドレスから引用。

最近何度かテレビのニュースで相当「一方的、否定的に」取り上げられたが、あの安田好弘弁護士を「こちら特報部-異端の肖像2006」の欄で大きく扱っている(5月8日付)。ネット上でぜひ読んでみてほしい。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060508/mng_____tokuho__000.shtml

安田弁護士のことは、いち早く宮崎学さんhttp://www.miyazakimanabu.com/judicial/000170.php、森達也さんhttp://www.jdox.com/mori_t/k_column.html、先日の講演でも、辺見庸さんらが「支持」「擁護」していたが、みんなやっぱり全身筋金入りの「異端」の人ばかりだ。

朝日はもう断ったし、やっぱりこれからは東京新聞だな。

では、イベントの報告は改めてちゃんと書くつもりです。

                                      

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2006年5月12日 (金)

この国の未来は…

いま日本では重大な法案が次々と可決されそうになっていて、自分では追っかけきれない。
どうなっちゃうんだ…。

きょう、立花隆の『滅びゆく国家』を買って、読み始めた。
すごくおもしろい。
ライブドア事件、小泉改革、天皇制、新憲法、耐震偽装、NHK問題、靖国論などなどなどについて、立花隆がどう解釈し、どういう意見を持っているかが書かれている。

立花隆は、「本当にこの国はいま、危ない大きな曲がり角を曲がりつつあるところだと思う。どれぐらい大きな曲がり角かというと、百年に一度あるかないかの大きな曲がり角だと思う。」(p14~15)と書いているが。

本当にどうなっちゃうのかねぇ…。

                                                            
重大な法案が目白押しだけれども、「可決されようとしている法案の中でも深刻なのが、入国管理法の改正案だ」と言っているのは、宮台真司氏。
彼のブログに詳細が載っているので、ご覧ください。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=355
                                  

ところで、共謀罪のその後ですが、私は「保坂展人のどこどこ日記」でチェックしています。

今まで朝日新聞をとっていたのですが、断ったから今新聞読んでないし。
(とっていた時も、犬のトイレ用に使っていただけで読んでいなかったんだけど。)
東京新聞、とろうかな…。

「保坂展人のどこどこ日記」によれば、「共謀罪、16日「強行採決」の危険性」とのこと。

昼、複数の記者やジャーナリストから「16日強行採決」という情報が流れてきた。与党側から「採決」提案があったのは事実だが、野党側は拒否していて、結論は出ていない。16日は午前中は参議院法務委員会で問題のある入管法審議が行われ、午後1時からの衆議院本会議で「教育基本法改正案」が趣旨説明され、私も本会議場で質問に立つ。本日の衆議院法務委員会理事会で決まった次回審議は、16日の午後3時30分から5時30分までの2時間(野党のみ)である。 . .

続きは以下のブログでご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7e132adeda9c8b3d5b2276fe6092b9ff

このブログの中の、「共謀罪、世論の力が「強行採決」と綱引きを始めた 」という記事も興味深い。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/b3bccc58c4c9e902c5b76742d1c6e08b

                                                      
私は今まで政治家にまったく関心を持てず、彼らの言葉も少しも耳に入ってこなかったのだが、この保坂展人って人はかなりいい感じ。
でもやっぱり少し難しすぎるよね、言ってる言葉が。

しかし、「教育基本法と「富士山敬愛法」の近未来」という記事はおもしろかった。
以下に一部引用します。

教育基本法が「巨大与党」の手でギロチン台に乗せられる段取りになっている。そして、処刑にかかる時間は特製ベルドコンベアー(連日開催できる特別委員会)で2週間程度とされている。委員長には法務大臣として死刑執行の指揮命令書へのサインをためらわなかった森山真弓さんが内定しているという。
(中略)
まさか、まさかで、まっさかさまだ。信じられないほどに政治はアナクロニズムへと退却し、「国家の幻影」が膨張する。「ちょっと妄想ひどいんじゃないの」とたしなめてくれる人がいたら、小石や岩石が転がってくる坂を登りゆく隊列に加わってほしい。今日は冗談で書いてません。

中略の部分には、保坂展人が妄想した近未来のイメージが。
本文は、以下のブログで。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/b4973c81e8db4c3f9a948f459a298d1a

                                                      
                                             
それから、「IZAYOI吐露遺跡」というブログで、共謀罪反対国会前行動へ行った様子や法務委員会を傍聴した様子などがレポートされているのを見つけました。
等身大の言葉で語られていて共感がもてる。
こういうブログを読むと、この人どういう人なんだろうなぁって想像したりして。

以下、一部引用してみます。

すみません。正直なところ、自分はまだいっしょにシュプレヒコールをしたり、野次を飛ばしたりというのに馴染みません。いっしょに掛け声かけて拳を固めるのはやりますが、かなりおっかなびっくりです。
何かしら運動に慣れた大き目の組織の人たちといっしょに活動するのも、なんとなく落ち着きません。
そんな中、今から数えると30年ぐらい前の学園祭のパンフレットに載っていた大学闘争の勝手なイメージが思い浮かんだり。自分、今その時代にいるのかな、という変な気分になってみたり。
それでもなぜか当たり前みたいにそこにいる自分が、なんか不思議だったり。
ものものしいエリアの外には、やっぱりごく普通の日常が広がっていて、この激しい声を上げなければならない世界の方が夢なんじゃないかと疑いたくなりました。

本文は以下のブログで。
http://saitoro.seesaa.net/article/17601624.html

                                                               
引用ばかりで恐縮です。
正直言って、もうついていけませんよ。

山奥かどこかにこもって、情報とかを一切遮断して、何ものにも惑わされず、自然と戯れ、瞑想をしつつ自分の心のなかで遊んでいたいと願ってしまう今日この頃。

まぁ、でもしかたない…。
こんなたいへんな日本の状況と同時代的に居合わせたのも何かのご縁。
自分にできることを、自分にできるやりかたでやっていくしかないんだろうな。

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2006年5月10日 (水)

安田好弘弁護士批判に応える緊急トークイベント

私が、安田好弘弁護士の大ファンであることは、4月17日と4月24日の記事に書いた。
以下、その記事のアドレス。
http://nervous-frog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_a920.html
http://nervous-frog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_4645.html
                                              

その安田弁護士が、いま多くの批判にさらされているという。

それについて、作家の宮崎学氏が、ご自身のHP(ブログ?)で「弁護士安田好弘を擁護する」という記事を書いている。
http://www.miyazakimanabu.com/judicial/000170.php
                                                                              
                                                                

また、5月13日土曜に『緊急!「人権派弁護士」批判に答える。』というトークイベントが開催されるそうだ。

「今週13日土曜日13時から、新宿・ネイキッドロフトにて「人権派弁護士批判に答える」と題した、 最近の安田好弘弁護士等への批判をテーマとした緊急のトークイベントが開催されます。 関東近県のキツネ目組員やこのページの読者で時間のある方は、ぜひ参加をお願いします。」

詳細は、以下のサイトでご確認ください。
http://www.miyazakimanabu.com/lecturejudicial/000178.php
                                             

行くしかないでしょう、これは!

森達也公式ウェブサイトの、巻頭コラム No.035でも、告知されています。
http://www.jdox.com/mori_t/

安田好広弁護士をめぐって、今とてもきな臭い噂がある、と。

いま、日本は司法の危機でもあるんだ…。
ほんとやばいよ。
ありとあらゆるところで、問題が潜行している。

疲れてヘロヘロだけど、この状況を見過ごすわけには行かない。
                                                

                                                                        
以下、宮崎学氏責任編集「直言」のアドレス。
http://www.moura.jp/scoop-e/chokugen/

宮崎学氏の本は、『地下経済』しか読んでいないけど、すごくおもしろい。

                                             

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2006年5月 8日 (月)

北山耕平さんのブログより引用~アメリカ国防総省が6月2日に大型爆弾爆発実験を予定

北山耕平さんのブログに、以下のような記事が載っていた。

「誰がこの狂気を止めるのか」
アメリカ国防総省が6月2日に「神の輪がね(デバイン・ストレーキ ''Divine Strake'')」と名づけられた700トンの高性能炸薬を破裂させる大型爆弾爆発実験(戸外の非核爆発としてはこれまでで最大)をラスベガスの北西90マイルのネバダ核実験場で行う予定でいることに、本来その核実験場をふくむネバダ州のほとんどを先祖伝来の故国としているウエスタン・ショショーニの人たちが当然ながら反発し、あらゆる手をつかって実験の停止を求めている。
………

続きは、以下の北山さんのブログをご覧ください。
http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/05/post_a07c.html

                                                   

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2006年5月 2日 (火)

興味深いブログから引用(焚書/表現の自由)

いろいろ書きたいこともあるのだけれども、連休中くらいはゆっくり心身を休めたいので、興味深いブログの記事を引用するだけにしておく。

以下、ブログ「成城トランスカレッジ!」の中で、
「こういうご都合主義はちょっとイヤなのだ。」という記事が載っているアドレス。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060502/p3

上記の記事によると、
「福井県生活学習館からフェミニズムに関連しそうな150冊の本が撤去された」とのこと。

驚いた。
そんなことって、あっていいわけ?
(それとも、私が昨今の情勢にうといだけ?)

このブログを運営している人は、「これってどうなんだろう、というのが素朴な感想。この場合の「これ」とは、福井県生活学習館から特定の本が排除されるという事件そのものよりは、むしろそれを是とする論法の方だ。」と書いているが、私は150冊の本が撤去されたというその事実自体にそもそも仰天した。(そんなことが、もう既に起こっていたのか、と。)

この記事には撤去を喜んでいる人の声(反フェミニズムの人の声)も引用されているが、どうして喜べるのだろうか。
私には理解できない。
それはそのまま自分にも返ってくることだということがわからないのだろうか。

それを受け入れるということは、フェミニズムの本に限らずどんな本であれ恣意的に撤去される可能性を許すということではないのか。
                                     

それから、以下のアドレスの「上野千鶴子さんの原稿「役人のいる場所」を掲載します。」には、諸般の事情により採用されなかったという上野さんの記事が転載されている。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060502/p2
                                                

こういう情報を掲載してくれるブログというのは、本当に貴重だと思う。
新聞やテレビでは得られない情報だ。

                                                       

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2006年4月29日 (土)

綿井健陽のブログ

いま、綿井健陽のブログを発見した。↓
http://blog.so-net.ne.jp/watai/

おもしろい!ぜひ読んでほしい!
                           

このブログでも、「共謀罪」と「教育基本法」のことが書かれている。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-04-20
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-04-13
                                       

それから、映画「送還日記」と「スティーヴィー」についても、書かれている。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-04-11
                                             

「送還日記」は見るつもりだったけど、「スティーヴィー」のことは知らなかった。
調べたら、私がものすごく関心のあるテーマじゃないか!
両方とも、もう上映が終わりかかっているので、絶対に観ておかなくちゃ。
                                          

以下、綿井さんのブログからの引用。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-04-11

どちらも以前このブログで触れたが、http://blog.so-net.ne.jp/watai/archive/20060302 「送還日記」に関しては、「あの映画に日本でどれくらいの人が入るかが、この国に「どれくらいの未来」があるのかのリトマス試験紙になると思っております。」とまで書いた。大げさではなく、いまでもそう思っている(これは僕だけか?)。

「そのうち観に行く」という人は、実際に観に行くころにはもう上映は終わっていて、そして二度と観ないことになる。なので、「この日に観に行く」と決めてほしい。もう観た人は友人・知人にも薦めてほしい。それからお近くの映画館(特に各地のミニシアターhttp://www.minipara.com/theater-all/top.html)にでも、上映をリクエストしてほしい。ともかくお早めにネ!

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