読んでいる本
『東京大学「ノイズ文化論」講義』(宮沢章夫著、白夜書房)、まだ読み終わってないけど、おもしろい。
オタキング岡田斗司夫との対話は笑った。
岡田斗司夫、おもしろいな…。
自分の立ち位置をこんなふうに冷静に分析しているなんて、クレバーな人だ。
岡田斗司夫の本、読んでみよう。
いま並行して、『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』(大塚英志著、文藝春秋)を読んでいる。
この本は読むべきだ。
サヨクのなかにあった性差別について、鋭い指摘がされている。
昨日は雄犬のほうが、血尿をだして頭の中がまっしろになった。
真っ赤な鮮血って、こわい。心臓がどきどきしてしまう。
すぐに獣医に連れて行ったら、膀胱炎か結石のどちらかでたいしたことないと言われて安心したけど、赤い血ってどうしてあんなに不安や恐怖をひきおこすのだろう。
先週土曜日に、以前習っていた笛で一緒だった人と飲んだ。
あわないと思った…。
帰りの電車のなかで、その人が、笛のテストに自分を含め誰と誰が受かったみたいな話をしているのを聞いて、心底ぞっとした。
笛にまでテストがあるのか、競争原理はこんなところにまで働いているのかと思ったら、気分が悪くなった。
その人は自分が試験に受かったのを自慢そうに話しているように聞こえてしまったんだけど、そもそもそうやって生徒同士を競わせるというやりかたがいやだ。
そして自分は受かって他の人は落ちたと得意そうに言うその人とも、もう会いたくないと感じてしまう…。
そもそも笛をやめようと思ったのは、その資格制度みたいなのが導入されて師匠と自分とは考え方がずいぶん違ってきたと思い、そういうなかに巻き込まれるのはいやだからさっさと離れようと思ったわけだった。
最初に篠笛を習ったのは、国宝のお弟子さんで、そういうなんていうか師弟関係とか家元制度(?)みたいなのが自分にはまったくあわなくて、それで最近まで習っていた笛の教師のところに流れ着いたんだけど、結局その人もそういうなかにいる人なんだな。程度はちがっても。
もちろん、そういう考え方があってもいいとおもうし、そういう選択肢だって必要だと思う。
競争はあったほうがいいという考え方の人も多いし、師匠からすればきちんと教えられる指導者を養成したいということなのだろう。
だけど、自分はその選択肢をあえてお金を出してまで選びたいとは思わない。
適度な競争はあったほうがいいという人も多いけど、なんで競争しなきゃいけないのかな。したい人はすればいいけど、それを強いられるのはごめんだ。
自分はおりるよ。そういうところから。とっととおりる。
やろうと思えばできてしまうから困ったものでさ。ふと気がつくといつのまにか競争やゲームやレースに巻き込まれてがんばってしまっている自分がいるから、やっかいだ。そしてうっかりすると、レースの前の方を走っていたりする。へとへとになりながらも。疲れて座り込んでいる人のことも視界に入らずに。そんなのはもういやなんだ。
だからどうやって意識的に競争やレースから降りていくかが、私の課題だ。
以前はそのレースやゲームにのっかっていなければ自分の居場所がなくなってしまうと思ってたけど、そのルールがいやならそこからおりて自分にとって居心地のいい場所を自分でつくればいいと思うようになった。
それが可能かどうかなんかなんてわからないけど、少なくともそう思うようになってから、自分はなんて解き放たれたことか。
ピアノとかもそうだけど、もっともっとと技術を高めていく音楽のありかたが私にはあわない。
下手でもいいから、音楽を通じてみんなと楽しむことが出来、つながっていくことを考えたい。
そういう発想の音楽家は少ないと思うけど…。
でも沖縄の人たちってそうだよね。
音楽が生活のなかにある。
誰もが演奏者だ。
指導者というか教師というか、そういう人を絶対視してグル化するようなまなざしも、自分にはちょっときつい。
私という人間は常に、権威といわれるものを疑問視し、それを相対化したいと欲望してしまう人間らしい。
それが前衛であり、私はその前衛の精神に常にこがれている。
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