自然住宅
きょうは、建築途中の自然住宅の見学に行ってきた。
電磁波や有害化学物質って本当にこわいみたいだ。
パソコン、電気毛布、ホットカーペット、無線LANなどは要注意。
私はパソコンも電気毛布もホットカーペットも思いっきり使っている。
冷え性の私にとって電気毛布なしで寝るというのは考えられないんだけど、どうしよう。
無線LANも使おうと思ってたけど話を聞いてやめた。
食品や環境のことを調べれば調べるほどこわくなってくる。
無農薬有機栽培以外の野菜は口にいれないとか、生活からすべての電磁波を排除するとか、そういうストイックな立場をとるつもりはまったくないんだけれども、でも知識や情報として知っていないと選択することすらできないからねー。
まぁ、その前にタベコや夜更かしをやめろっていう話もあるけど。
そもそも私はもともと環境問題とかにまったく関心がなかった。
それどころか、エコロジーとか環境とか言っている人たちにどこか胡散臭さを感じてしまうような人間だった。
そういうことに関心を持つようになったのは、どうすればこの世界から暴力や虐待や差別がなくなるかを考えた結果だった。
暴力だとか差別だとか虐待だとかの問題を見ていると、その根底には経済問題があるように思った。
本当に金がなくては生きていけないのか。
金のためにいやいや世の中の因習だとか人間関係だとか労働だとかに縛られて生きていくしか、生きるすべはないのか。
暴力をふるわれていても差別されても逃げられないのは、そうやってがまんするしか生きるすべがないと思い込んでいるからなのではないか。
法定通貨に頼らなくても生きていく方法はないのだろうか。
そう考えていたときに、コミュニティ通貨という考え方に出会った。
そうか。自分達で新しいコミュニティをつくって、自給自足して、オルタナティブなお金を自分達でまわしていけば、無理して既存の社会や既存の価値観にあわせなくても生きていけるではないか!
(この発想は本当に私を解き放ってくれたし、コミュニティ通貨の概念とであったときにはまさに目からうろこが落ちたような気がしたものだった。その後、コミュニティ通貨をやっている人たちと関わるうちに、そんなに一筋縄ではいかないんだってこともわかってきたんだけれども。)
しかし、自給自足するにしても、農薬や化学肥料を使わなければならないとしたらそれを買う円が必要になる。だけど、農薬や化学肥料って本当に必要なの?いまの種はF1と言って種がとれない品種に改良されてしまっているから、毎年種屋さんから種も買い続けなければならない。だけど、それはなぜ?
そんなことを考えて、いろいろ調べているうちに、自分がいかに企業や市場経済に依存しなければ生きていけないようにさせられているかということがわかっていった。
自分の力を奪われている。自分達の選択や生きる力を奪われている。
そして、仕方ないさ、お金がなければ生きられないもの、と思わされている。
健康も食べ物も遊びもすべて、誰かが与えてくれるものと思わされている。
京都の綾部に若杉ばあちゃんという人がいる。
60代の後半くらいの人だと思うのだが、ひとりで山奥で自給自足して暮らしている。
野草料理の権威でもある。
生活費は月1万円くらいで生きていけると言っていた。
で、このばあちゃんが本当に楽しそうなんだな。
自分は幸せで仕方ないと言っている。
私の母親とはえらい違いだ。
うちの母親は、年をとったら何一つ楽しいことはないと愚痴ばかりこぼしている。
これって、市場経済や金や夫や子供に依存している人とそうじゃない人との差なのではないのだろうか、とそんなふうに私は思ったわけだ。
いずれにしても、戦争に加担している企業にノーと言うためには、企業に依存していないライフスタイルをつくらねばならないのではないか、と私は思った。
自分が石油製品を使いたいだけ使っておいて、それでイラクの戦争に反対なんて言えないだろう、と。
だから今では、我が家には石油系化学製品はほとんどない。
トイレットペーパーやティッシュペイパーは、古雑誌などをリサイクルしたものを注文して届けてもらっている。
(これ、安くてとてもいいから、こんどまた紹介しますね。)
一時期は、石けんもシャンプーも洗剤もなしですます方法を試していた時期もあった。
(「楽して徳して得して楽しく暮らそう」という本が参考になった。)
で実際にやってみると、お金などあまり使わなくても生きていけるということがわかった。
しかも、以前よりずっと健康になっている。
よく考えてみると、いままでの生活って悪循環を繰り返していただけのような気がする。
金のためとか言いながら、不摂生して無理して働いて、食事も不規則で、心身のバランスを崩してセラピー受けたりヨガやったりサプリメント飲んだりして、金のために無理をしすぎて金を無駄に使う。
で、そのうち病気になって医療費に金がかかる。
そういう悪循環。
でもそういう悪循環にはまらなければ生きていけないような仕組みになっているのも確かなんだよね。
きょう見学した自然住宅は、日本の林業を再生することまで念頭に置きながら、しかも家を壊したときにすべての建材をリユースできるようにつくっている。化学物質もほとんど使っていないから化学物質過敏症の人でも安心して暮らせる。冬はあたたく夏は涼しく、しかも建築費が高くない。大手建築メーカーとほとんど変わらない値段で、将来的にはもっと安く提供できるように工夫したいと言っている。
なによりもその建築家の人や建築事務所の人たちが楽しくて楽しくて仕方ないというふうに仕事をしているのがいい。
妥協しないで、自分達がいいと思えるもの(建材であれ壁紙であれ塗料であれ)をひとつひとつ探し出し、なければ自分達でつくり、そうやって家をつくっているのだという誇りを感じる。
家を建てる経済的余裕など今ないのだが、思わず「小さい家とかは引き受けてくれませんよね」とか聞いてしまったら、「狭くて小さいスペースにどうやって家を建てるのかって、けっこう建築家魂が燃えるんですよね。採算とか度外視してね」とおっしゃった。
万が一家を建てたりするような奇跡が起きたら、絶対この人に頼むことにした。
追記:
自分が農業に関心を持つようになったのは、インド人のフェミニストであり、草の根レベルの環境運動を支援する研究者でもあるヴァンダナ・シヴァの影響が大きい。
彼女の著書『生きる歓び』は素晴らしい本だ。
| 生きる歓び―イデオロギーとしての近代科学批判 著者:ヴァンダナ シヴァ |
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