去年の12月頃から西野流呼吸法をやっている。というか再開した。
なんだか忙しかったり寒かったりして、月に3回くらいのペースでしか行ってないのだが。
西野流呼吸法とは、かつて西野バレエ団を設立した西野皓三氏が創設した呼吸法。
詳しい説明は、以下の公式ホームページを。↓
http://www.nishinojuku.com/index.html
昨年秋に右足首より下を捻挫し、その足をかばって歩いていたら右膝ががくんとずれ(?)、膝に血がたまって数日間動けなかった。
その前に何度も足がつっていたので、気がとどこおっているなぁとは思っていたけれども、放置していたら案の定このざまだった。
で、きちんと体調管理をしなければ自分がやりたいこともままならないなと思っていたときに、ふと西野流呼吸法のことが頭に浮かんだ。
自分に一番向いているのはやっぱり西野流呼吸法だな、っていう直感がすとんとやってきて、それで西野流呼吸法を再開することにしたのだ。
西野流呼吸法を一番最初に知ったのはいつごろだろう?
10年以上前であるということだけは確かだ。
取材で初めて訪れた。
当時私は、フリーライターとしてある女性雑誌に記事を書いたりしていた。
で、鈴木その子さんの取材に行っていた時のことだ。
美白の女王・鈴木その子さんもお亡くなりになった…。
いい人だったが。
私はとてもよくしてもらって指輪までもらった。
それはともかくとして、その取材に同行していた編集者が、あした西野流呼吸法というところを取材してくれないかと言うのだ。
取材に行く予定だった人がご家族の不幸かなにかで急に行かれなくなったという。
で、その西野流呼吸法というのは、西野さんという気功師みたいな人が「気」で人を飛ばすようなことをやっていて、経済界の大物や各界の著名人などもいっぱい通っているという。
その西野さんを取材してくれないかと言うのである。
え~、「気」で人を飛ばすおじさん?
やだー、いかにも怪しそうじゃないですか。
と私が言うと、
とにかく行く予定だった人間が行けなくなってしまったので、頼むから何とかして行ってほしいとおっしゃる。
しかたないなぁ…。
ということで、翌日、渋谷にある西野流呼吸法の道場に足を運んだわけだ。
道場といっても、地下一階から地上7階くらいまであるビル。
そこで、その西野流呼吸法とやらをやっているらしい。
まず実際の稽古の様子を見学してから取材をしてくれと言われた。
実際の稽古の様子は……
驚くべきものだった。
とにかくものすごい人数の人がいて、こどもからかなりご高齢の方まで老若男女が基本の体操をやっている。
そしてその後「対気」といって指導員と「気」を交流するのをやるのだが、交流しているうちに参加者のほうは「気」でうしろのマットに飛ばされる。
それがとにかく、ものすごく楽しそうなのだ。
そして西野皓三氏が登場。
西野氏が、参加しているひとりひとりと「対気」をしていくのだが、かなりご高齢の女性が西野氏に後ろのマットに飛ばされて「きゃ~、先生~」とか叫びながらほっぺたを上気させている。
すごい…。
これはなんだ。
なんてラディカルな平等主義なのか、と思ってしまった。
よく「お年よりをだいじにしましょう」とか言うが、だいじにするといって隔離して生きることの歓びを奪ってしまうことが多い中にあって、ここは歳をとっていたって子どもだって性別だって肩書きだってそんなものは一切関係なくて、みんな自分なりのやり方で楽しんでいる。
「気」を受けてなぜかくるくる回りだす人もいれば、ころげまわる人もいる。
人によってからだの反応がぜんぶ違っている。
とにかくそれがすごいなと思った。
そのあと会った西野皓三氏は、なんてキュートで天真爛漫な人だろうと思った。
1926年生まれだから、当時すでに70歳前くらいだったかと思うのだが、ものすごく派手な背広を着て出ていらっしゃった。青年みたいな印象を受けた。
その時取材した話の中で一番印象に残っている西野氏の言葉は、「ラジオ体操みたいにみんなが同じ動きをやるのは不自然。ひとりひとりみんな違っているからすばらしいんだ」というような言葉。だいぶ前のことだから、多少違っているかもしれないけど。
この取材をきっかけに西野流呼吸法に通い始めた。
それと同時に「気」だとか、目に見えない世界だとかに興味を持つようになり、オルタナティブ・メディスンだとかヒーリングだとかの取材を始めるようになったわけである。
西野皓三氏のことは、一番最初の取材を含めて全部で3回も取材させていただいた。
西野塾に通っている人からは、贅沢だと叱られそうだが。
そうやって西野塾に通い始めたわけであるが、ひとつのことを掘り下げて追求するよりいろいろなことに興味をもって探索するタイプの私は1年くらいで西野流をやめてしまい、そのあと太極拳をやったり気功をやったり色々な健康法などを、取材を兼ねて試してみる方に向かっていった。
いろいろと見て歩いたのだが、10年経った今、やっぱり自分には西野流呼吸法が一番あっていると納得できて、それでまた再開し始めたわけである。
10年ぶりくらいに行ったのだが西野氏は相変わらずご健在で、私の記事もまだ道場のなかに貼ってくれてあって、そのことが嬉しかった。
西野流が自分に一番あっていると思うのは、「こうあるべき」というのがあまりないということ。
もちろん基本の型はあるけれども、無理をしないで、楽しくのびのびと心地よく、自分らしくやっていればいいというのが、私には合っている。
やっている人達が本当にいきいきとしていて、とにかく楽しそうだしね。
指導員の人達も、みんないい感じなんだよなぁ。
無理しないで楽しみながらやってらっしゃる。
いくつか試した気功法や太極拳の中には、練習で着るウェアのことまでうるさく言われたり、ちょっとでも物音を立てたらだめだと言われたり、あるいは無理やりストレッチさせられて足を痛めたこともあった。
来ている人も、がんばらなきゃとか努力しなきゃとか、資格をとろうとか思っている人が多かったりして、そういう場だと私は逆にとても疲れてしまうし、自分には向いていないと思う。
非努力型の自分は、むずかしい型はとても覚える気になれないし…。
でも西野流の場合は、自分らしく自分のペースで、純粋に楽しむためだけに呼吸法をすることができる。覚えることも特にないし。そして実際にすごく楽しいし。
エネルギーを全開にできる場って、他になかなか、ない。
西野流では、誰に遠慮することもなく、自分らしいエネルギーを全開にしていいから、そのことがすごく楽しいのだ。
最近は、後ろに飛ばされるとき、我知らず「ハッハッハッ」とでかい声で笑っている。
(よっぽど身体が喜んでいるんだろうな。)
そのうちに私も、他の方々のように走り出すだろう…。
ただ、これも向き不向きがあるのかなとは思っているが。
オルタナティブ・メディスンの記事を書いていた時には、しばしば人から、「一番いいのはどういう健康法ですか。どういうヒーラーがいいですか。いいところを教えてください」などと聞かれたものだ。
だが、私にとっていいところが、他の人にとってもいいとは限らない。
万能なものはないし、どういうメソッドにも長所と短所はある。
(万能であると謳っているところは疑った方がいい。)
なので、自分にあっていると思えば他の人がどう言おうが続ければいいのだし、自分にあわないと思えば無理して続けないほうがいいと思う。
こういうものは、いろいろな人がいろいろなことを言う。
まやかしだとか、あやしいとか。
そういう言葉に振り回されずに、自分の目で確かめて、自分にとっていいものを探していくしか仕方ないような気がする。
だけど実際にあやしいところもあるかもしれないので、多額の金を要求するとか、何かが憑いているとか言って不安にさせるとか、無理をさせるとか、自分が治してあげるとかいう傲慢な言い方をしてくるところは注意した方がいいとは思うが。
まぁ、私自身も、「気」で人を飛ばすなんてどう考えてもあやしいと疑っていた人間のひとりなのだが。
それにしても、世の中変わったなと思う。
普段は雑誌とかはほとんど読まないのだが、先日病院の待合室で女性誌をぱらぱらめくっていたら、タレントやモデルがみんなあたかもファッションのようにヨガや気功をやっているではないか。
私が10年位前に気功だとかなんだとか言っていたときには、「気」があるなんてなぜ言える?証明してみろ!とけんかをふっかけられるほど、そういうものに対する世間一般の認知度は低かったのだが。
ヨガもオウム事件があったために、あぶないという印象だったのに、いつのまにこんなにファッショナブルなアイテムになっていたんだ!?
最近、江原啓之とかがテレビでオーラがとか過去生がとか守護霊がとか言っているのを見て、おいおいこんなことテレビでまじめに言ってだいじょうぶなのか?と思ったのだが、周囲の反応はすこぶるいいようだ。
私がかつてスピリチュアル・ヒーリングの勉強をしていたときには、大学時代の友人などから思いっきりあやしがられたのに。
(あれで友人がずいぶん去っていったっけ。)
時代は変わるもんだなぁ…。
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