矛盾
ここに書いていることは、私の心の中のほんの一部に過ぎないのです。
私の心の中には、相矛盾する部分がいっぱいあって、ここに何かを書いたとしても、心の中の別の自分が正反対のことを考えていたりする。人間ってそんなに単純なものではないし、矛盾を抱え込んで生きるのが豊かさだと思っていたりする。
人間の心の中や意見が白黒できれいに線引きされてしまうのは、逆におそろしくて、私はそれを慎重に避けているとも言える。
人の考えも意見も、自分の考えも意見も、気持ちも思いも、所詮は恣意的で相対的なものであり、世の中に真実なんて何一つないと感じている。
自分の心の中には、常に「揺れ」や「迷い」や「矛盾」や「葛藤」があり、私はそれを歓迎するし、それをけっして排除するまいと思っている。
お互いがお互いの価値観や意見や考え方を正しい、これこそが真実だと主張し始めたときに、そのときに紛争は生じるのだ…。
だからといって自分が必ずしも平和的であるわけなどあるはずがなく、常にいらいらと苛立っている。だけど、この苛立ちすらも排除せずに、歓迎する。これも私の一部なのだと。
人間は、弱くて、愚かで、白とも黒ともつかないグレーな部分を生きている存在だ。だからこそ、美しいのではないか。神ではない人間としての豊かさ・美しさ。人間臭さが私は大好きだ。だから私は「愛」とかいう言葉を陳腐だと感じ、毛嫌いしてしまう(このヘンクツさ)。間違える権利と言ったのは、鶴見俊輔だったけど、彼もまた人の弱さをよく知っている人だった(まだ生きてるけどね)。
とはいいつつ、なかなかバリューフリーにはなれないけどね。
子供の頃から異常に正義感が強く、中学生の時にひとりで暴力教師反対運動をやり、以来、権威や不正や差別に反対・反発し続けながら生きてきた。おかげで随分いろんな人と喧嘩したけど。
そういう自分の立ち位置に疑問を感じたのは、とある精神科医と出会ってからかな。
彼は本当にバリューフリーの人だった。グレーゾーンでしか生きられない、弱くてずるくて卑屈でウソつきで傲慢でわがままで自己中心的で…そんな人をも愛した、というか、そんな人こそ好奇心をもっておもしろがった。(彼いわく、愛とは好奇心や関心のこと。)
そういうふうにしか生きられない人間もいるということを、多くの人と出会う中で骨身にしみて理解した人だった。
私はいつも正義という剣を振りかざして人を裁き続けてきたのではないか、と、私は彼を見ながらそう思った。自分はそんなに正しいのか、自分はそんなに立派なのか、自分はそんなにえらいのか、と。
しかし、私はいまだに正義が大好きなんだよね。血が燃える。
自分のためだけに生きることがどうしてもできないんだ。
自己保身だとか自己実現だとか、自分のことしか考えてない連中を見ると猛烈に腹が立つ。
そのことがスピリチュアルな世界から離れた一番大きな理由なんだけど。
湯水のように金を使って、透視だとかオーラだとか過去生だとかいい加減にしろよ!と。それがスピリチュアルなのか、と。私はそうは思えねぇ…。世界の反対側には食うことすらできない人もいるというのに、なにがオーラだ!と怒り狂ったねぇ、一時期の私は。今は自分のそういう正義感もまた危ういののだ知っているけど。
なんでもあり、なんだ。
なんでもありのなかで、人がどう言おうが、人からどう思われようが、今この瞬間の自分が何を選択するのか、それしかないし、それのみが真実だ。
マイケル・ジャクソンの映画をずいぶん前に見た。
感想書こうかなぁ~と思っていたら、私の知人が次々に観て誉めているのを聞き、自分の感想を言うのがためらわれた。
確かにマイケルは天才だと思った。即興的に出てくるアイデア、インスピレーション、ダンス、歌…、それらを映像で見れたのはすごくよかった。
だけどなんで彼のメッセージが「地球を守ろう」という表層的なところに行っちゃうのかねぇ。誰でも言えるような、そんな表層的なメッセージに。
自分の痛みを覆うために、そういうメッセージを使っていると私には感じられた(あくまでも私見だが)。
彼が人間関係の中でどんなにだまされ、深い傷や痛みや苦しみを負ったかは最近放送されたテレビのドキュメンタリー番組で知ったが、その傷や痛みのなかにおりていきそれと向かい合っていたのであれば、彼のメッセージや表現は別のものになっていたのではないか。それを見ないようにするために、「地球を守ろう」というメッセージを持ってきているから、だからあのメッセージはあんなに陳腐に聞こえるのではないか…。
だが、これもありだ。ありなんだ。これを批判するのもありだし、これに感動するのもありなんだ。
なんか、何を書きたいのかよくわからなくなってきた。
ひとつだけ、お願い。
最近私の知人で、私のブログを読む人が増えています。
上に記したように、ここに書いていることが私の感じていることのすべてではないし、ここに「あること」を書きながらも同時に別のことを考えている自分もある。
自分の全体、自分のすべてを、言語化するのは無理だし、矛盾している両端を常に行ったり来たりしているのです。
なので、ここに記したことで私を先入観で見られると非常にきつい。この人はこういう人だ、と、書いた部分を切り取って判断されるのも非常にきつい。
相対している会話の中で、ブログで発言したことを言及されるのも余り好きではない。
あくまでも匿名のブログだし、基本的にはブログの存在を知人には教えてないので…。
勝手にみつけちゃったのは仕方ないとしても、あくまでも匿名の人間が言っている、匿名の言説であるとご理解いただけると嬉しいです。
私はナマモノです(笑)。
ブログの文章やライターとして書いた言葉が「私」なのではなく、ナマの目の前にいるいつも不機嫌そうな人間が本物の私です。
ナマの今存在している私が発している言葉やあり方が、その瞬間のリアルな私です。
直接私と会う機会のある知人の皆さんは、言語化された虚構の私ではなく、ナマモノの生きて存在している私と向き合っていただけたら嬉しいです。
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