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2009年10月12日 (月)

犬、カムイ外伝、HEROS

寒い。いろいろばたばたしていて、衣替えもしてないうちに、すっかり寒くなってしまった。
きょう衣替えしようと思ったけど、結局できずしまい。今週中にしなければ、着る服がない。

犬。
うちには、16歳のオスとメスの老犬が各一匹ずついる。
オスは1階、メスは2階にいる。
数年前にメス犬が失明してしまい、やみくもに歩いてオス犬にぶつかって、オス犬に噛まれたりしていた。メス犬はすっかり怯えてしまい、ごはんも食べなくなってやせていった。
ちょうどその頃チベット祭り(だったと思う)とかいうチベット仏教のお祭りがあり、そこに遊びに行ったら護摩焚きをやっていたので「飼い犬二匹が天寿をまっとうできますように」と祈願した。
そのあと、1階で一緒に生活していた二匹を別々にしたら、メス犬のほうも少しずつ元気になってきて、護摩焚きのせいかどうかわからないけど、まだ二匹とも生きている。

この二匹が16歳にも関わらず、いまだ発情期がある。去勢せずにきてしまったからか。この年齢になって発情期があることに獣医さんもびっくりしている。でも、二匹がお互いを呼び合って鳴くので近所迷惑にならないか心配だ。

発情期じゃない時でも、昼間は別々にしている二匹を夜になると2階の寝室で合流させていた。じゃないとひとり残されたオス犬が夜中じゅう鳴いてうるさいから。
が、発情期の今は、二階で二匹を一緒にするとそれはそれでまたタイヘンな騒ぎだ。

目の見えない足の弱っているメス犬と、痴呆のはいったオス犬の間で妙な交流が夜中じゅう行われていて、眠れない。
しかも、メス犬は、失明している上にアレルギーで下痢気味。失明した犬が下痢になると部屋の中がタイヘンなことになる。自分でした物を踏みつけ、その足で部屋を見えない目で歩きまくるから。
昨晩も下痢をしていたらしいが、疲れていた私は気づかず爆睡。起きたら自分の布団がうんちだらけになっていて、その中で寝ていた…。

なぜこんなことを書くかといえば、大島弓子の『グーグーだって猫である』を読んで触発されたから。
1巻と2巻を読み、2巻を読み終わったとき、号泣して泣いた。
そうなんだよ。猫だって犬だって、人間以上に怖がりで不安で傷つく。そのことを大島弓子が丹念に描いてたから。
あ~~!私も動物が大好きだ!!!
大島弓子は久しぶりに読んだ。やっぱり稀有な漫画家だ。ほかには、こういう人いない。『バナナブレッドのプディング』大好き。

昨日は、映画→日帰り温泉→温泉内で垢すりorマッサージ、という、私の定番のストレス解消三点セットをやってきた。
観た映画は『カムイ外伝』。監督の崔洋一も、脚本のくどかんも、主演の松山ケンイチも、みんなどうしちゃったの?というくらいキレがなかった。原作が他にある場合でも、『GO』のくどかんの脚本は素晴らしかったのに…。

米ドラマ『HEROS』シーズン3がレンタルビデオショップに並んだがために、眠れない日々が続いていたが(借りてくると観終わらないと眠れない)、全部観終わってしまった。おもしろいっつーの!それで寝不足で明け方寝て起きたら、ふとんがうんちだらけになっていたというわけ。

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2009年8月17日 (月)

ぼーっとしてます

夏休みでも、失明した犬がいるとどこにも出かけられず、でもそのおかげで久しぶりにただただぼ~っとした時間を過ごせた、ここ数日。

スリラーやミステリーを読んでしまった。
『サイコブレイカー』と『向日葵の咲かない夏』の2冊。
ミステリーやスリラーを読むなんて、いったい何年ぶりだろう。
昔は、ダイビングバッグにミステリー小説をいっぱい詰め込んで南の島のビーチサイドかプールサイドでチチやピニャコラーダを飲みながら読書三昧するのが楽しみだったんだけど…。ときどき海に潜ったり、プールで泳いだりしながら、日焼け止めもつけないでちりちりと日に焼けながら読書にふける。あぁ、バブルっぽいなぁ…。
ここ数年は、殺人事件やレイプを描いたビデオを見るだけで吐きそうになってしまい、ミステリーなんてとても読める心境じゃなかったんだけど、ミステリーが読める自分、読みたいと思ってストーリーについていけた自分にびっくりした。ミステリーって読み出すととまらなくなるんだよねぇ。
同時進行で、キューブラー・ロスの『「死ぬ瞬間」と死後の生』も読んでたんだけど…。
それにしても、キューブラー・ロスはおもしろい。彼女の毒舌が大好き。いろいろ心に残る言葉がいっぱいあって、時間があったら、ここにまた引用したい。

きょうはDVD『プリシラ』を借りてきて、観た。いや~、おもしろかった!
以下、アマゾンの紹介文より。

性転換者のバーナデット(テレンス・スタンプ)、バイセクシャルのミッチ(ヒューゴ・ウィービング)、世間知らずの若者フェリシア(ガイ・ピアーズ)。オーストラリアはシドニーのクラブで踊っていた3人のドラッグ・クィーンが、おんぼろバスを駆って、ミッチの別れた妻子を探す旅に出る。
   3人組が道中で繰り広げていくコミカルで派手派手しいエピソードに笑いころげながらも、観終わった後でふと心優しい気分になれるロード・ムービーの快作。1994年度のカンヌ国際映画祭上映で大絶賛されて観客賞を獲得し、アカデミー賞では7部門にノミネート、うち衣装デザイン賞も受賞。キャスト陣では、ベテラン性格俳優T・スタンプの素晴らしさが光る。ヒットナンバーを巧みに用いた音楽効果もおもしろい。(的田也寸志)

ゲイの映画と言われてすぐに思い出すのは、『ボーイズ・ドント・クライ』なんだけど…。
こっちのほうは、私にとって、観続けるのがあまりにも苦しかった。観終わったあと、殺意を感じた。
実話をもとにした映画で、マイノリティに対する偏見に対し、憎悪が炎のように吹き上がるのを感じた。
『プリシア』のほうは偏見についても描かれているけど、とにかく楽しい!ドラッグ・クィーン、ゲイ・カルチャーって最高!私もああいうドハデな衣裳を着てみたい。浅草サンバカーニバルにでも出ようかなぁ…。

この秋は観たい映画が目白押し。
9月19日公開の『カムイ外伝』とか。松山ケンイチのカムイですよ!そして脚本はくどかんで、監督は崔洋一!観ないわけにはいかないでしょう。
9月4日公開の『サブウェイ123/激突』も観たい。
公開中の『ココ・シャネル』も『南極料理人』も『里山』も観たい。

でもほんとに一番やりたいのは、真っ青な海に潜りたい!

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2009年7月 9日 (木)

『パパは楽しい躁うつ病』

『パパは楽しい躁うつ病』(北杜夫と娘の斎藤由香の対談)を読んだ。おもしろかった。
思えば、私は小学生の頃、遠藤周作だとか北杜夫だとかの本ばかり読んでいたんだっけ。
中学生の頃は、なだいなだの講演会にまでひとりで行った。
北杜夫を読んで、「躁うつ病ってかっこいいなぁ、やっぱり人間は精神くらい病んではじめて一人前でそれで箔がつくんだ」などと考えていたヘンな小学生女子だった。う~む、それが今につながっていたのか…。それが私の原点だったかも。

北杜夫の娘、斎藤由香のあとがきがよかった。
「父は、「パパは作家としては大したことはないけれど、躁うつ病を世に知らしめた功績はある」と言っている。普通は自分の病気を隠すのが当たり前なのに、敢えて父は原稿に書いた。高度成長時代、みんなががんばっているときに、「うつ病です」と告白するのは文壇でも勇気がいったことなのではないだろうか。
(中略)
長年、私は会社で、「上司に評価されたい。課長になりたい」と必死でもがいているというのに、父は全く違った人生観を持っていた。
人間が生きていく上でのつらさ、悲しさ、大変さ、そして楽しさを身をもって教えてくれたとも言える。父は作家ではなく、まさに精神科医なのだろう。」

躁病のときのエピソードが、とにかく笑える。遠藤周作との交流の回想もおもしろい。
いい大人がいったい何やってんだか。私もこうなりたい、と、思わせる。

北杜夫自身が精神科医で、自分の躁うつ病は誰にも治せない、と、きっぱりと、いばっているところがかっこいい。
どうせビョーキになるなら、ビョーキの自分をこのくらい楽しまなくちゃ、と、改めて思った次第だ。

数日前、神はきまじめさよりも遊びを愛する、と、ふと、思った。
そんなことを思ったあとだったので、その考えと、この本とがなんだかつながっているような気がして嬉しかった。
どんな苦しみの中にも、苦悩の中にも、微妙なおかしみがある。

ばかばかしい生き方っていいなぁ。あこがれる。
株をやるために自分の生原稿を売りに行って、高く売れたと威張ったり。(普通の作家は自分の生原稿を自分で売りに行ったりなどしないものだが、北杜夫はそんな常識などおかまいなしに高く売れたと自慢しているところが好きだ。)
あるいは、マブゼ共和国というのをつくって国歌や国旗をつくったり。マゾヒストが攻めて来た時に使う乗馬用ムチを持って行軍までしている。
国旗・国歌に反対しているより、自分で勝手にヘンな国旗や国歌をつくってしまうほうがラディカルかも!

そういうおとなに私はなりたい。

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2009年6月12日 (金)

ようやく

ようやくブログを書く気力が戻ってきたらしい。

このブログを知人から「読んでます」と言われ、自分でひいた。
そういえば、このブログを始めた当初は自分のスローライフを紹介するような、ほのぼのとしたブログを書くつもりで平気でアドレスを人に教えていたっけ。
こんな過激な内容を書きまくるブログになってしまうとは自分でも思っていなかった。
だから今では自分のブログアドレスなんて、けっして人には教えてないが。
あの頃アドレス教えたうち、いったい何人、いったい誰が、このブログを読み続けているのだろう。
お~、おそろしい!
まっ、いっか。もう、私はこうゆう人なんだと開き直って生きるしかない…。
こんな私でいいのだろうか、私の本性がわかったらみんな逃げていくのではないのだろうかという不安は相変わらず拭い去れないままだけど。
自分で自分を肯定するしかないし、本当の自分を隠していたら、生きにくいったらありゃしない。本当の自分をだしたところで、これはまたこれで、かなりの生きにくさなんだけど。

4か月半の父の介護で、からだの調子がかなり悪い。カップヌードルとか駅ビルのカレーライスとか、ろくなもの食ってなかったもんなぁ。
そういうのって、本当に顕著にからだに出てくるものなのだなぁと、身をもって体験している。

首も動かず、肩も背中も腰も痛い。壊滅状態の家の片付けもままならず、犬の散歩もずっと行けていない。
なので、ひっきりなしに、鍼灸に行ったり、マッサージに行ったり、日帰り温泉に行ったりしていたら、お金の残高がどんどん減っていった。

きょうは、首がまったく動かないので鍼灸に行った。
ここの鍼灸師とは長いつきあいで、いつも治療を受けながら色々なことを話す。
もちろん父の看護中のことや東大病院のひどさ、弟のこと、父が死んだことなども逐一話してきたわけだ。
だが、きょうは逆に彼のお父さんが死んだときの話を聞いた。
彼のお父さんは82歳で亡くなったらしいのだが、躁鬱病で躁状態のときに貯金を全部使い果たし、葬式費用も入院費用もなかったらしい。病院を抜け出して車を買ったり、息子が鍼灸師なのに整骨院に行ったり、とにかく振り回されてたいへんだったという。彼はひとりっこで、お父さんが病院を抜け出して問題を起こすたびに患者さんをキャンセルして、お父さんが問題を起こしているところに行ってはあやまって問題を治めなければならず、それなのにお父さんからは感謝の言葉ひとつなく、「お前は鍼灸師で先生とか言われているらしいが、それでいい気になっている」とか言われ、もういい加減に死んでくれ!と思ったそうだ(笑)。点滴を何度引き抜いてやろうかと思ったかしれない、とか言っていた(笑)。

それ聞いて、いいなぁ…と思った。
私の父親もそれくらいわがまま言って、やりたい放題やって死んでくれたら、今こんな思いをすることもなかっただろうに、と思って。
私の父親は、病院でも先生の言うことをちゃんと聞いて決して逆らわず、先生にも看護師さんにも母親にも私にも「ありがとう」「ありがとう」とばかり言って、最後までわがままひとつ言わず、贅沢もせず貯金して自分のものは何も買わずに、死ぬ直前まで仕事だけして死んじまったもんなぁ。ちぇ。くそお…。

私とは仲良くもなかったくせに、母親や弟の前では見せないような弱みを私にだけは見せやがって。弟や母親の前では平気な顔をしていたくせに、私の前だけでは涙を見せて、「とにかく生きたい。どんな治療法でも試してみたい」と泣いて言った。
なんでそんなに生きたかったんだろう。生き続けてまた勤勉に規則正しい生活を送り続けるつもりだったのだろうか。生きることにいったいどんな意味を彼は感じていたのだろう。わからない。わからない。

ベッドから起きられなくなってからも、私の顔を見ると嬉しそうににっこり笑った。母親や弟には見せないような笑顔を見せた。母は、「あんな顔、私にも見せたことがない」と言った。なぜだ。あんなに仲が悪かったのに。くそぉ。私をこんな気持ちにさせやがって。

最後の最後まで憎ませ続けてくれて、あぁ死んでほっとしたと思えたら、どんなにラクだっただろう。
ちぇっ。なんだかなぁ。
鍼灸院の帰り道、ずっと涙がとまらなかった…。…。ちぇっ。

       
ところで、ずっと小説を読めなかったんだけど(小説の言葉がどうしても頭の中に入ってこなかったのだけれども)、なぜか急に小説が読めるようになった。
きっかけは、川上弘美の『神様』という本。最近の小説事情はまったく知らなかったのだが、芥川賞作家だったんだねぇ。うまいなぁ、この人。ひさびさに、テーマではなく、言葉の使い方のうまさで読ませる小説家に出会った。ずっと昔に太宰治の『富岳百景』をよんだときにも彼の表現力に舌を巻いたけど、ひさびさにとにかく上手い上質な小説を書く作家と出会ったという感じ。今は『溺レる』を読んでいるけど、これまた上手くて、思わずうなる。

『神様』という本を手に取ったのは、タイトルに惹かれたから。思えば、小学校高学年のときに遠藤周作の『沈黙』を読んで以来、神というのはずっと私の中心を占めているテーマなのかもしれない。もし神がいるなら、なぜ神は苦しんでいる人を助けないのか、と。なぜ神は傍観しているのか。今は、自分なりにその答は出せているけれども。

母親は父親が死んで以来、近所の渋い蕎麦屋によなよな出向いては酒を呑んでいるらしい。後期高齢者のばあさんが、こじゃれた都心の蕎麦屋でひとり酒を呑む。
そうきたか。
お父さんが生きていたときはお父さんが嫌がったからやらなかったけど、四十九日が過ぎたら社交ダンスとかやってもいいわねぇ、若い頃はよく踊りに言ったのよ、とか、のたまう。どうしてこういう母親から自分のような娘が生まれ出でたのか不思議でならないが、たぶん、社交ダンスに付き合わされることになるのだろう。というより、自分からつきあうことになるのだろう。あぁ、こうやって自分の意思を殺して、昔っから母の期待に応えてきたなぁ。子供の気持ちや思いを想像することがまったくできない人だったから。母を見るといつもなんてかわいそうな人なんだろうと思い、この人の期待に応えられない自分はなんてだめなんだろうと思い続けておとなになった。
母が少しもかわいそうじゃないと理解できたのは、そう教えてくれる精神分析医と出会って以降のことだった。
ま、いっか。さすがに私もおとなになった。社交ダンスにつきあうか。

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2008年12月18日 (木)

最近みたDVD、読んだ本など

最近見たDVD

『HEROES シーズン2』
見始めたらとまらなくなって、一気見。しかしこの中途半端な終わり方は…。来年春までシーズン3を待たねばならないとは。

『ヤマカシ』
ストーリーは非常に陳腐だが、登場人物がスタントではなく壁を登ったり回転したりする身体能力を見ているだけで気持ちよかった。またトランポリンをやりたくなった。

まだ見てないけど、映画『誰も守ってくれない』はおもしろいのだろうか。
http://www.dare-mamo.jp/
テーマには惹かれるけど。

最近読んだ本

『だまされることの責任』(佐高信×魚住昭、角川文庫)
本屋でたまたま手にした本だけど、すごくおもしろかった。
感想をじっくり書いてみたい気分だが、時間がないから、また機会があったらじっくりと。

『不可能性の時代』(大澤真幸、岩波書店)
いろいろ感じたこともあるが、時間があったらまた書いてみる。
一点だけ言えるのは、性虐待の「過誤記憶」について、この人の論の根拠になっている情報は誤っている。
二次情報をもとにこういう論を展開されるのは少し困る。

他に、
『いじめるな! ― 弱い者いじめ社会ニッポン』(香山リカ×辛淑玉、角川書店 )
『「お金」崩壊』(青木秀和、集英社新書)
なども今読んでいる。
辛淑玉の本を読んでいると、いつも元気が出てくる。

ブログ書いている余裕がないんだけど、思わず書いた。

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2008年1月14日 (月)

川端裕人と『滝山コミューン1974』

昨日のエントリーで『滝山コミューン1974』という本を注文中ということを書いたが、この本を注文しようと思ったのは、川端裕人氏のブログでこの本が紹介されていたから。
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2007/06/post_5567.html

上記の紹介文を読んで、どうしても読みたくなった。

川端裕人の『動物園にできること』『クジラを捕って、考えた』からは、ずいぶん影響を受けた。
私がまだ市民運動とか自給自足とかコミュニティ通貨とかにまったく関心がなかった頃に読んで、色々と考えさせられた本のひとつ。
運動をやっている人たちをものすごく冷めた目で、しかしある種の共感を抱きながらレポートしていて、そのまなざしがおもしろいと思った。
私はアニマル・ライツということを子どもの頃からずっと考えていたけれども、それに対して明確な答を与えてくれる本に出会ったことがなかった。
(アニマル・ライツと、性差別と、児童虐待は私が子供の頃からずっと抱き続けてきたテーマです。)
でも、上記の本を読んでなにか少し腑に落ちたところがあった。
運動をやっている人たちの矛盾だとかそういうことも書かれていて、非常に興味深い。

川端裕人は、PTAの問題だとか父親が子供を育てることとか、そういうことも色々書いていておもしろい。実際に共働きで、子育てやPTAにも積極的に参加している人です。
非常にクレバーで、文章がうまい。
しかし、物事を考える視点は、宮沢章夫みたいな人とは対極にいると思う。
ある意味、優等生的だが、バランス感覚が心地いい。
ぐわんと何か魂がシャウトしているような芸術家タイプとは違っていて、安心できる人です。まともな人です。

滝山コミューン一九七四 Book 滝山コミューン一九七四

著者:原 武史
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

動物園にできること (文春文庫) Book 動物園にできること (文春文庫)

著者:川端 裕人
販売元:文藝春秋
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2007年12月18日 (火)

『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ。
最近の村上春樹の書くものは、小説もエッセイもおもしろいと思えなかったのだけれども、これはおもしろかった。
かなり正直に内面を語っていて、それを興味深く思いながら読んだ。
へぇー、村上春樹ってこういうこと思ってたんだ、って感じで。
これを読んでいたら、私も早起きしようかなという気分になった。影響されやすいものですから…。さすがにマラソンする気にはなれないけど。

ブログを書いていない時にも色々な本は読んでいたんだけど、感想くらいは書いておけばよかったな。なかなかその時間がなくって。

走ることについて語るときに僕の語ること Book 走ることについて語るときに僕の語ること

著者:村上 春樹
販売元:文藝春秋
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2007年7月18日 (水)

読んでいる本

『東京大学「ノイズ文化論」講義』(宮沢章夫著、白夜書房)、まだ読み終わってないけど、おもしろい。
オタキング岡田斗司夫との対話は笑った。
岡田斗司夫、おもしろいな…。
自分の立ち位置をこんなふうに冷静に分析しているなんて、クレバーな人だ。
岡田斗司夫の本、読んでみよう。

いま並行して、『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』(大塚英志著、文藝春秋)を読んでいる。
この本は読むべきだ。
サヨクのなかにあった性差別について、鋭い指摘がされている。

昨日は雄犬のほうが、血尿をだして頭の中がまっしろになった。
真っ赤な鮮血って、こわい。心臓がどきどきしてしまう。
すぐに獣医に連れて行ったら、膀胱炎か結石のどちらかでたいしたことないと言われて安心したけど、赤い血ってどうしてあんなに不安や恐怖をひきおこすのだろう。

先週土曜日に、以前習っていた笛で一緒だった人と飲んだ。
あわないと思った…。
帰りの電車のなかで、その人が、笛のテストに自分を含め誰と誰が受かったみたいな話をしているのを聞いて、心底ぞっとした。
笛にまでテストがあるのか、競争原理はこんなところにまで働いているのかと思ったら、気分が悪くなった。
その人は自分が試験に受かったのを自慢そうに話しているように聞こえてしまったんだけど、そもそもそうやって生徒同士を競わせるというやりかたがいやだ。
そして自分は受かって他の人は落ちたと得意そうに言うその人とも、もう会いたくないと感じてしまう…。
そもそも笛をやめようと思ったのは、その資格制度みたいなのが導入されて師匠と自分とは考え方がずいぶん違ってきたと思い、そういうなかに巻き込まれるのはいやだからさっさと離れようと思ったわけだった。
最初に篠笛を習ったのは、国宝のお弟子さんで、そういうなんていうか師弟関係とか家元制度(?)みたいなのが自分にはまったくあわなくて、それで最近まで習っていた笛の教師のところに流れ着いたんだけど、結局その人もそういうなかにいる人なんだな。程度はちがっても。

もちろん、そういう考え方があってもいいとおもうし、そういう選択肢だって必要だと思う。
競争はあったほうがいいという考え方の人も多いし、師匠からすればきちんと教えられる指導者を養成したいということなのだろう。
だけど、自分はその選択肢をあえてお金を出してまで選びたいとは思わない。
適度な競争はあったほうがいいという人も多いけど、なんで競争しなきゃいけないのかな。したい人はすればいいけど、それを強いられるのはごめんだ。
自分はおりるよ。そういうところから。とっととおりる。
やろうと思えばできてしまうから困ったものでさ。ふと気がつくといつのまにか競争やゲームやレースに巻き込まれてがんばってしまっている自分がいるから、やっかいだ。そしてうっかりすると、レースの前の方を走っていたりする。へとへとになりながらも。疲れて座り込んでいる人のことも視界に入らずに。そんなのはもういやなんだ。
だからどうやって意識的に競争やレースから降りていくかが、私の課題だ。
以前はそのレースやゲームにのっかっていなければ自分の居場所がなくなってしまうと思ってたけど、そのルールがいやならそこからおりて自分にとって居心地のいい場所を自分でつくればいいと思うようになった。
それが可能かどうかなんかなんてわからないけど、少なくともそう思うようになってから、自分はなんて解き放たれたことか。

               
ピアノとかもそうだけど、もっともっとと技術を高めていく音楽のありかたが私にはあわない。
下手でもいいから、音楽を通じてみんなと楽しむことが出来、つながっていくことを考えたい。
そういう発想の音楽家は少ないと思うけど…。
でも沖縄の人たちってそうだよね。
音楽が生活のなかにある。
誰もが演奏者だ。
指導者というか教師というか、そういう人を絶対視してグル化するようなまなざしも、自分にはちょっときつい。
私という人間は常に、権威といわれるものを疑問視し、それを相対化したいと欲望してしまう人間らしい。
それが前衛であり、私はその前衛の精神に常にこがれている。
             

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2007年7月12日 (木)

ノイズ

犬がごはんを食べないので、手でとって少しずつ口のところに持っていってあげたりしているので、すごく時間がかかる。
しかし、そういうふうに二匹いるうちの一匹の犬の世話をしていると、もう一匹がすごくやきもちをやいて狂ったように吠えて暴れる。
難儀だなぁ…。
こういうことやってて、一日が終わっちゃう。
仕事が少しもはかどらず、野菜は畑でどんどん成長し次から次に増え、体調も悪く、たいへんなことになってます…。

深夜、世の中が寝静まった頃に、ひとりタバコを吸いながら読書をしているわずかな時間だけが、気が休まる時間。(この時間には犬も寝ている。)

いま読んでいるのは、『生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠』(上野千鶴子著、岩波書店)と、『東京大学「ノイズ文化論」講義』(宮沢章夫著、白夜書房)。
どっちも、すごくおもしろい。
時間があれば、少し引用するところなのだが…。

                
先日、ずっと前に勤めていた広告関係の仕事仲間と久しぶりにあった。
私が働いていた期間は一年弱なんだけど、当時の上司(父親と同じくらいの年齢の男性)がいまだにしょっちゅう声をかけて誘ってくれる。
で、彼が絵を描いていて、グループ展をやるというので、オープニングパーティに行ったわけ。
当時一緒に働いていた、コピーライターやデザイナーも来ていて、ひさしぶりの再開だった。
(私以外は、みんないまだに広告関係の仕事をしている人たちばかり。)

それでどういう話の流れだか、光市母子殺害事件の話題になったのだった。
当然のことながら、私以外の人間は弁護団を批判するような言葉を、かなり感情的にくちにする。
私がちょっとでもそれに反論しようものなら、私までをも攻撃するような口調である。
そのときに思ったこと―。

あぁ、凡庸だ。
陳腐だ。

誰かがどこかで言っていることと同じことを、みんなと一緒に異口同音に発言してて、コピーライターとして 恥ずかしい…。
そんな陳腐な言葉を口にしている自分が、少なくとも言葉を使った商売をしている人間として、どうなんだろう、と。
だからあんたのコピーは昔から凡庸なんだよ。間違っていようがなんであろうが、少なくとも他の人とは違う視点と言葉で考えようよ。コピーライターだろ…、と腹のなかで毒舌炸裂しつつ、それを表情にはださなかった。私もおとなになったなぁ。
ま、この人たちを攻撃してもしょうがないしさ。
しかし、マスコミの洗脳ってやつは、おそろしいな。

このへんの話に近いことも、宮沢章夫の『東京大学「ノイズ文化論」講義』に書いてあって、興味深い。
私も“ノイズ”の側にいる人間なんだろうな、昔から。
               

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2007年5月19日 (土)

忙しかった今週

とにかく今週はものすごく忙しかった。

月曜日は仕事で4時間くらいぶっ続けに人と対話(一切の休憩なし)。
翌火曜日は疲労で何もできず。足裏マッサージに行ったが、なぜかふくらはぎばかりをマッサージするへんな施術者にあたってしまい、余計疲れる。終わった後、「これ、足裏マッサージですよね」と一言皮肉を言う。

水曜日もまた外出。なんだかやたら声の通る元気のいいポジティブな人のいる場に行き、そういう人と接していると私はなぜかやたら声が低くなってぼそぼそとしたしゃべり方になり、シニカルになっていくのだ。だがそれはそれでおもしろかったが、どっと疲れる。
で翌木曜日は疲労で何もできず。

金曜日もまた外出。
日本有機農業研究会の連続セミナー第二回「農薬と化学肥料の正体」というのを聞きに行ってきたのだ。
これはおもしろかった。非常におもしろかった。
次回以降も、参加できるかぎり参加しようと思う。一回目に行けなかったのが残念だ。
農薬や化学肥料の成立の歴史が、いかに戦争と密接にむすびついているかがよくわかる。
内容を簡潔にまとめてこのブログにレポートしたいくらい。ほんのちょっとだけレポートするかも。いや、こわいですよ、ほんと。農薬や化学肥料って…。

セミナーの詳細は、以下のアドレスで。
http://www.joaa.net/moyoosi/mys-40-0518.html

講師の方は現役の農家の方だが、まるで学者のように詳しく科学者のようで、かつ自分の言葉を持っていて、しかもご自身の仕事や生活のなかから出てきた言葉なのだから、すごい。いや、すごい。
その方が今年一月に出版した『有機農業 みんなの疑問』(1000円+税)も買って帰った。

ただ困ったのは、セミナー参加者の中から抽選で10名に野菜があたるということだったらしく、私はそれにあたってしまったことだ。
家に帰って見てみたら、小松菜、間引き大根、こかぶなど。
自分が作って収穫した葉物野菜で、いま冷蔵庫のなかは満杯なのに、困った。

                                           
有機農業研究会に入会しようかな。
今回のセミナーを聞き、どんな問題であれそれを構造的に見ていくことで、解決のいとぐちが見えてくるような気がした。
みんな知らないんだ。
先入観で、これはこういうものだから仕方ないと思い込んでいるだけ。
だからまず知ること。時間や手間がかかっても、自分の足と耳を使って、調べ、聞きに行くこと。

                                                
しかし帰ってから、また疲れている自分がいた。
疲れているのに、頭がさえて眠れない。
森達也のラジオ番組のバックナンバーを、自分が持っている音楽プレーヤーにダウンロードできないかなと色々と試していたら、午前4時になってしまった。
パソコンの前に座ってずっと聞いている時間はさすがにないので、電車に乗っているときにでも聞けたらなぁと思って。
とりあえず、CDにはデータを落とすことがなんとかできた。
これをさらに音楽プレーヤーにコピーする予定。

私の持っている音楽プレーヤーは、夫がゴルフの景品でもらったものを譲り受けた東芝製だが、やっぱりipodってよさそうだな…。ほしい。
PCに接続するだけで、PCにダウンロードしたポッドキャストを自動的に読み込んでくれるらしい。

森達也のラジオ番組のバックナンバーは、以下で聞くことができます。
http://reco.jfn.co.jp/podcasts/tokyo/mori/

森巣博や宮沢章夫などと一体何を話しているのか、聞いてみたい。

それにしても今週は疲れた一週間だった。
来週は我が家に来客があり、また色々と急がしそうだ…。
整形外科で骨折の具合を確認しなきゃいけないのに、行けていない。
                   

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