きょう(日付がもう変わっているから昨日になるか)は、2週間に一度の篠笛のお稽古の日だった。
またもやほとんど練習しないままお稽古に行ってしまった。
先生、ごめん。
篠笛をうまく吹きたいとか上達したいとかいう野心が、私の中には余りない…。
だから練習をしない。(居直っても仕方ないが。)
でも一生懸命教えてくれる師匠に申し訳ないので、稽古の直前になると慌ててほんのちょびっと吹いてみたりする。
しかしそれでも少しずつ吹けるようになってきた気がする。
継続は偉大なり。
篠笛を最初に習い始めたのはいつだっけ?
4年くらい前だったような気がする。
私の女友達がとある著名な和太鼓奏者とつきあっていて、その人のコンサートを見に行ったのが和楽器に興味をもったきっかけだった。
コンサートの最後のほうで、彼が一心不乱に大太鼓を叩いていた。
その時、音が天に向かって上がっていくのが映像として見えたのだ。
楽器というのは、天(神)と人との通路をつくる装置なんだな、と思った。
私も太鼓をやってみたいなぁと友人に言った。
でも家で練習するわけにもいかないし、家でも気分転換に演奏できる和楽器ってないかなぁと聞いた。
「篠笛とかがいいんじゃない?」と彼女は言い、それで始めたというわけである。
最初は国宝のお弟子さんのところで篠笛を習った。
とにかく篠笛というのは、音を出せるようになるまでがたいへん。
でもなんとかそこまでたどりついた。
しかし、音が出せるようになってから吹く曲が「赤とんぼ」とか「荒城の月」とか、哀愁漂うなんだか気が滅入るような曲ばかりなのだ。(個人的な感想だけど。)
それから、その師匠が笛を楽しそうに吹いていないということも気になった。
師匠が楽しくなさそうなのだから、習っている方も楽しくなくなる。
結局一年くらいでやめてしまった。
もし現在の師匠・朱鷺たたらと出会わなかったら、きっともう篠笛をやめていたと思う。
一年半くらい前にたまたま師匠・朱鷺たたらのライブを見た。
そして、びびびっときてしまったのだ。
私が篠笛を習うのはこの人しかいないと思った。
伝統に縛られない、音と戯れるかのような彼女の奏法は素晴らしい。
朱鷺たたらの笛の音を聴いていると、竹に穴をあけただけのあんなにシンプルな楽器からよくもこれだけ多彩な音が出るものだと感心する。
自分で自分の笛を吹いてもあんな音色はけっして出ないんだけどね。
練習すればできるようになると師匠は言うのだが…。
師匠の譜面は五線譜だ。
普通、篠笛は数字譜を使うのだが、他の楽器をやっている人や他国の人たちともセッションできるように、師匠は五線譜を使う。
最初私は五線譜がまったく読めなかった。
そのことに自分でもものすごく驚いた。
だって私は幼稚園から中学1年生くらいまでずっとピアノを習っていたのだから。
でもピアノを習うのも弾くのも、いやでいやで仕方なかった。
いつも練習をさぼってデパ地下でうろうろしていた。
そもそも我が家は、クラシックを聴く家庭ではない。
家にはステレオもなかったし、LP(当時はLPだった!)の一枚もなかった。
父親がカーステレオで聴くのは北島三郎。風呂の中でうなるのは浪花節。
こんな家庭なのに、子どもにピアノを習わせるということ自体に無理がある。
親にとってピアノというのはある種のブランドであったわけだ。
でも彼らの見栄を満足させるためにピアノを習わされている子どものほうはたまったもんじゃない。
狭い和室にピアノがどんと置いてある。
そこにはコタツがあって、父はそこでいつもテレビを見たり新聞を読んだりしている。
ピアノの練習なんてできる環境じゃない。
ときどき練習をしようとすると父がうるさいと言う。(だったら習わせるなよ…。)
練習をしていないのだから当然お稽古にも行きたくなくなる。
でも親の顔を立てて、やめたいとも言えなかった。
自分にとってはそのことがものすごく苦しかったんだろう。
その苦しさが自分で自覚できないくらい。
ピアノ以外にもバレエだとか水泳だとか習字だとか塾だとかいろいろやっていた。
(すべて親の意思であって、私の意思はひとつもない。)
ぜんぶ中途半端で何ひとつ「もの」にならなかったけれど、なかでも一番嫌いなのがピアノだった。
でも、いくらなんでも五線譜くらいは覚えているだろうと思っていたのに、呆れるくらいきれいさっぱり忘れていた。
人間はいやなことは記憶の中から消し去ってしまうものらしい。
ピアノを習っていたおかげで音楽も大嫌いになった…。
(しかし不思議なもので、ピアノを習わされていなかった弟のほうは今、音楽家になっている。)
しかし、篠笛とそして師匠・朱鷺たたらと出会ったおかげで、今また音楽が少しずつ好きになり始めている。
五線譜もだいぶ読めるようになった。(練習は全然してないんだけれども…。)
私が篠笛を今好きでいられるのは、篠笛の魅力以上に、師匠の人間的魅力によるところが大きいと思う。生き方だとか、音楽に対する考え方だとか向かい合い方だとか。
師匠を見ていると、音楽と触れ合うことが私まで楽しくなってくる。
執着やとらわれがなくて、なんだか宇宙人っぽい。
それに話もおもしろい。
師匠は下戸なのに、酒を飲んで語り合った。
私が一方的に語っていたのかもしれない。(実はあの日は楽しくて飲みすぎてしまい記憶がない。)
ライブでも必ず「笑い」をとることを忘れない。
さすが関西人の京女。
しかしそれにしても、朱鷺たたらのお弟子さんたちはどうしてあんなに濃いキャラの人が集まっているのだろう。
まるで師匠に吸い寄せられたかのように…。
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