カテゴリー「オルタナティブ・メディスン」の9件の投稿

2007年4月28日 (土)

自然療法

なにもしないって決めて、ただただ、ぐだぐだしてるんだけど、これっていいなぁ。
(骨折してるから、実際何もできないんだけど…。)
本などもまったく読む気になれない。
ただ、ぐだぐだ、ごろごろしている。
テレビをぼ~っと見たり。
こういうふうにして過ごすの、ほんとに久しぶりだ。
ここ数年、常に何かに追い立てられていたような気がする。
(自分で自分を追い立てていたんだけど。)
骨折さまさまだ。
こうやって過ごす時間をたまに持つことは、本当に必要だな。
何もしない。
これって、すごい贅沢な気がする。
この機会に、ドッグフードのことなど色々調べている。
(何もしないって言って、結局なんかやっちゃうんだけどさ。)

ドッグフードにも本当に色々な種類があるんだな。
私も色々探していたつもりだったんだけど…。
今回、国内の小さなお店がつくっている手作りの、とてもよさそうなドッグフードが見つかったから試してみるつもり。
それだけで、なんか嬉しい。

犬の手作り食の本を読んで、ヨーグルトとか卵とか、ゆでた野菜やきのこ類(すべて本のなかで推奨されていたもの)を色々あげていたら、二匹とも下痢になってしまい、とても落ち込んでいたので。

ほんと、犬中心の生活だ。
このブログ読んでいる人にとって、きっと興味のない内容だと思うよ…。

犬にあげようと思って買ったヨーグルトとか、野菜や果物とか、自分もそういうのを食べている。
つまり最近の私の食生活は、犬用食材の残り物でまかなっている。

かつてホリスティック医学に関する記事を書いていたので、自然療法とかマクロビオティックについても少々の知識はあったのだが、家にあったその手を本を、今回改めて再読している。(犬のために)
知識としては知ってたけど、自分の食生活にはあまり取り入れていなかった。
(犬のことでは真剣になれるのに、自分の食生活とかはないがしろになっちゃうんだよね、ついつい。)
でも犬のために調べてたら、玄米菜食を自分でもやりたくなってきた。
私の冷え性とか、あきらかに食生活から来ているから…。
東城百合子の本とかも、久しぶりに読んでみた。

それから今、『からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て』をぱらぱらと見ているんだけれども、この本、けっこういい。
症状別に食事療法のやりかたが具体的に書いてある。
犬にも応用してみるつもり。
                

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2006年10月 3日 (火)

女性性と男性性

スピリチュアリティとかヒーリングとかオルタナティブメディスンとかについて、けっこう長期間にわたって取材をしていた。
ちょうどオウム事件が起こった頃で、当時はまだ霊性とかスピリチュアリティとかいう言葉も一般的ではなかったし、オウム事件の影響でそういうものに対する不信感が強まった時期だったかもしれない。

自分自身の興味もあり、かなりコミットしてそういう世界に入り込んで取材をした。
自分でもスピリチュアル・ヒーラーから直接学んだり、いろいろ勉強したりした。
だから本当は、ヒーリングとかマッサージとかいろいろできるんだぞ~。
今はこんな風にブログなんか書いているけど、ほんとはものすごく怪しいスピリチュアルな能力をもった人間なんだぞ~。
というのはウソだけど、いろいろつまみ食い的に勉強したから、やろうと思えばできないわけではない。

ま、それはいいとして、そういう価値観を勉強してみることはいい意味でも悪い意味でもいろいろとおもしろかった。
自分がそれまで慣れ親しんできた知の枠組みとは異なる世界観だったから。

おもしろい視点だと思って自分の中にとりいれたものもあれば、それはないんじゃないの?と疑問に思うことも多くあったが。

それはどうなんだろう?と思ったことのひとつは、女性性と男性性についての考え方だ。

こういうスピリチュアルな人達は、これからはみずがめ座の時代に移行し、ピラミッド型のヒエラルキーが支配していた社会構造から、対等な関係性に重きが置かれる世界へと変化していくと言っている。
それはまあいい。
というか、そうあってほしいと私も思っている。

そしてさらに彼ら彼女らは、これからのみずがめ座時代には、各個人ひとりひとりの中で男性性と女性性を統合していかなければならないのだという主張につなげていくのである。

ひとりひとりの中に、いわゆる男性性と言われるような積極的な部分・社会に働きかけていったりルールを構築していくような部分と、いわゆる女性性と言われるような受容的な部分・母親的な無条件の愛・慈愛の気持ちなどといった部分を、統合せねばならないと……。

                        
そう、彼ら彼女らは、やたらと「統合」ということが好きなのだ。
統合して、バランスのとれた全体的な「自己」へと向かうべきだとやたら主張する。

ま、確かに、男は男らしく女は女らしく、と言っているよりはずっとましだと思うけれども、でもそんなに統合しなきゃいけないものかねぇ、などと私は思うわけである。

別に片寄っていてもいいじゃん。
無理して統合しなくても、それが個性じゃないの?
いろいろな人がいるんだしさぁ。

男性がいわゆる女性役割と言われているものをやったって、女性が男性役割をやったっていいじゃん。
そういうのが好きで得意なら、得意な分野を活かせばいい。
それぞれの人に、向き不向きだってあるんだし。
こうあるべきっていうのが、やっぱり一番人を息苦しくさせるのでは?

かつてのフェミニズムでは、主婦に対して批判的な態度を持つ人もいたようだけど、私は主婦だって主夫だってぜんぜんオーケーだと思うし。
経済活動をしているからえらいとは、これっぽっちも思ってないし。

みんなが同じものを目指したり、みんなが型にはまったように同じ振舞をしたり、そっちのほうがよっぽど気持ち悪い。

                            
などと、そんなことを急にふと思い出したから、書いてみました。

               

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2006年5月11日 (木)

東京都の男女平等参画審議会委員に高橋史朗氏が!

「アジア女性資料センター」のHPに、以下のようなニュースが載っていました。

本日5月1日の午後、第3期「東京都男女平等参画審議会」の委員名簿が発表されました(東京都生活文化局発表)。その一人になんと、男女平等に反する数々の問題発言や「新しい歴史教科書をつくる会」の活動で知られる高橋史朗氏の名前が!

続きは、以下のサイトでご覧ください。
http://www.ajwrc.org/modules/news/article.php?storyid=110

                                                             
ここまできたら、もういやがらせだね。
男女平等に反対している最も先鋭的な人間を、なんで男女平等参画審議会に入れるわけ?
ただ、もう、あきれるだけ。

                                                            
以下、それに対して「憂慮声明」の署名を呼びかけたページ。
私も、もちろん署名しましたが。
署名集約の締め切りは5月11日(木)24時です。
http://www.ajwrc.org/modules/news/article.php?storyid=111

                                                                            
                                                             
こんなブログの記事も発見しました。
◆「新しい歴史教科書をつくる会でおなじみ高橋史朗さんが東京都男女平等参画審議会に」
http://d.hatena.ne.jp/demian/20060509/p2

                                                                                 
これを読むと、高橋史朗氏は、「ホリスティック教育」とかのたまっているらしい。
私は以前ホリスティック医学について原稿書いていた、とかよく人に言ったりしていたけど、そう言っていた自分がヒジョーに恥ずかしくなってきた、彼のせいで。

つくる会であれ、なんであれ、なんでもかんでもホリスティックか?

ホリスティック医学とか、もう言えないな。
なんて言えばいいのかな?
こんどから伝統医療とかそういう風に言おうかな、ったく。
でも、バーバラ・ブレナンとかそういうまともなヒーラーのやっている仕事って、伝統医療でもないしなぁ。

もういいや、どうでも。

こういうことが次から次に起こってくるから、睡眠不足になるんだよね、ほんとに。

                                                    

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2006年4月17日 (月)

ひさしぶりに、リフレクソロジー

さっき久しぶりに、家の近くでリフレクソロジーをやってきた。
ショートコースを頼もうかなと思ったのだが、60分のフルセッションをお願いして十分リラックスしてきた。
あ~、生き返った感じがする。
空が青い。
視野が広がった。

リフレクソロジーは、体全体でなく足裏にしか触れないので、どちらかというと敏感な私には向いている。
施術者の方の腕もさほど関係ないような気がする。
これが、鍼灸だとか全身のアロママッサージだったりとかすると、相性の悪い施術者にあたると逆に具合が悪くなってしまうのだが…。

ここ数週間ほんとうに疲れがたまっていた。
何が一番疲れるかというと、やっぱり人と関わることが一番疲れることだと思う。
人と関わると、いらいらしたり、傷ついたり、人と会うことで逆に孤独になったりする。
誰とも会わずに山寺にでもこもっていた方が、どんなにかラクかもしれないと思うこともある。
ひとりで本を読んだり、瞑想したりしていれば、心が乱されることもない。
でも、人と会うことで自分という人間の個性がよくわかってくるし、たいへんさと同時にたくさんの思いや出会いの喜びももらえる。ひとりでいたら、得られないものを。
人と関わるこの困難さこそが、生きる醍醐味であるとも言えるのだろう。

でも、以前は人と関わってもぜんぜん疲れなかった。
疲れるようになったのは、ここ5~6年くらいだ。

以前はなぜ疲れなかったかというと、自分のまわりにエネルギー的な鎧をつけ、心の扉を閉ざし、目の前にいる人ともエネルギー的な交流をすることを避けていたからだと思う。
そうやって自分を守っていれば、傷つかないし、あまり疲れない。
逆に言えば、そうやって自分を守らずにはいられないほど、人間に対して強い恐怖心を抱いていたとも言える。
私は小学校4年生の頃に男性数人による性虐待の現場を目撃していて、それが私の人間恐怖の根底にある。

でも、そうやって、人との心の交流やエネルギーの交流を閉ざしてしまうとは、なんて孤独なことだろう。
人とのつながりを自分で切ってしまうのだから。

しかし、長い年月を経て、いろいろな人との出会いがあり、尊敬できるヒーラーからさまざまなことを学び、また恩師である精神分析医から無条件の愛を受け取っているうちに、いつのまにか少しずつ心の扉が開いてきて、自分のまわりにかたくななまでに身につけていた鎧がはずれてしまったのだ。

だから、今は、目の前にいる人の気持ちが手に取るように感じられ、相手の痛みや歓びがまるで自分のことのように感じられる。
人間だけじゃない。
風や鳥や道端の花や土が、いきいきと自分にささやきかけているのまで、聞こえるようだ。

人の人生までこうやって一緒に生きているような感じなのだから、人と一緒にいると、楽しいけれどもそれでもやっぱり疲れるのだ。

スプーン曲げの清田益章君は、人間は意識があってウソをつくからわからないけど、人間以外のものはウソをつかないからコミュニケーションできると言っていたが、その気持ちわかる…。

人間というのは、言葉の下にさまざまな意図だとか作為だとか、人を利用しようという心だとか、見下した気持ちだとか、嫉妬だとかいろいろなものがあって、たいていはそれを言葉にしない。
でも、言葉の下にあるそういうものがなんとなくわかってしまう。
そうすると、それがわかりながらどうやってコミュニケーションしていいのかよくわからなくなってしまうのだ。

中年男性ってどうして女性を見下しているのだろう…。
しかも本人はそれに無自覚なことが多い。
保護すべき自分より格下の女性に、自分はいいことをしてあげているんだと勘違いしている。
そして説教してきたり、高みに立ってものを言ってきたりする。
でもね、私一見若く見えますけれども、もしかしたら貴方より年上です。
助言や説教は不要です。ケアや保護も必要ありません。
人生経験多いですから。
と心の中で思いつつ、言っても通じないだろうな…と思っている。
(でも、もやもやした不快感は拭い去れない。)
酒を呑んで、言われたことの10倍くらい言い返すこともある。。
それはそれで、また罪悪感みたいな感じで自分にもどってくるからいやなんだ。

すべての中高年男性がそうだとは言わないけれども。
大きな病気をしたり、挫折したり、世間でいわゆる負の体験と思われていることを経験した人は、みずからの弱さを引き受けているから、高みにたって言葉を発したりはしないのだ。

だから、いわゆる負の体験と思われていることは、人生の宝だと私は思っている。
私もまた、そういう体験から自分の個性を形作ってきたつもりだ。

あれ、話がなんか別のほうへ展開しゃちゃった。

そうそう、リフレクソロジーの話だっけ。

私は実は、エネルギーワーク系のリフレクソロジーを習得している。
クレニオセイクラルも学んだし、血液循環療法も学んだし、スピリチュアルヒーリングもかじったし、セラピーの勉強もした。
一時は、ボディワークを仕事にしようと思っていたからだ。
だけどいろいろ思うところがあって、仕事にはしていない。
その辺のことも、機会があったらまた書いてみようと思う。

いずれにしろ、リフレクソロジーで生き返った。
ときには、人にケアしてもらって思いっきりリラックスすることも必要だ。

                                                   

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2006年4月10日 (月)

半身浴

半身浴をして汗を流し、粗塩でからだをマッサージした。
この方法は、自分をリセットしたい時にやるといい。
かなりさっぱりする。
よどんだエネルギーやいやな気分も、かなり流れていく。

湯船には、最近は、木酢液か竹酢液を大さじ一杯入れている。

自分でアロマソルトをつくって、お湯のなかに入れることもある。

粗塩をひとつかみビニール袋の中にいれ、そこに好みのアロマオイルを2~3滴たらし、ビニール袋の上からもんでアロマオイルを粗塩になじませれば自家製アロマソルトのできあがり。
アロマソルトをビニール袋からそのまま全部湯船に入れて、ゆっくり浸かる。
こうすれば、一回分ずつ好きな香りのアロマソルトがつくれる。

それでも気分がもやもやしている時は、フラワーエッセンスを調合したりもする。
最近フラワーエッセンス使ってないな。
フラワーエッセンスはまだ日本でこんなに流行る10年くらい前に個人輸入して、その頃はけっこう熱心に使っていたんだけど。

よし、明日はフラワーエッセンスを久しぶりに調合しようっと。

それから部屋も片付けなくちゃ。
気がついたら、また部屋の中がぐちゃぐちゃになってるよ。

部屋の中を片付けられないのは、もう不要になった自分の感情を手放せないでいるからだと教えてくれた人がいたけど、まさにその通り!

                             

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2006年4月 4日 (火)

ここちよい疲れ…

さっき西野流呼吸法から帰ってきた。
家からちょっと遠いのが難点だが、やっぱり行くと気持ちいい。

きょうは、指導員の前に立っただけで「ぎゃ~」とか叫びながら後ろに飛んでしまった。
帰り道、顔が勝手にむふふとにやけていた。

10年前より、あきらかに「気」に反応しやすくなっている。
今度行ったら、身体が勝手に動いたり、歌を歌い出しちゃったりしたらどうしよう。

こわおもしろい~♪

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西野流呼吸法

去年の12月頃から西野流呼吸法をやっている。というか再開した。
なんだか忙しかったり寒かったりして、月に3回くらいのペースでしか行ってないのだが。

西野流呼吸法とは、かつて西野バレエ団を設立した西野皓三氏が創設した呼吸法。
詳しい説明は、以下の公式ホームページを。↓
http://www.nishinojuku.com/index.html

昨年秋に右足首より下を捻挫し、その足をかばって歩いていたら右膝ががくんとずれ(?)、膝に血がたまって数日間動けなかった。
その前に何度も足がつっていたので、気がとどこおっているなぁとは思っていたけれども、放置していたら案の定このざまだった。

で、きちんと体調管理をしなければ自分がやりたいこともままならないなと思っていたときに、ふと西野流呼吸法のことが頭に浮かんだ。
自分に一番向いているのはやっぱり西野流呼吸法だな、っていう直感がすとんとやってきて、それで西野流呼吸法を再開することにしたのだ。

西野流呼吸法を一番最初に知ったのはいつごろだろう?
10年以上前であるということだけは確かだ。
取材で初めて訪れた。

当時私は、フリーライターとしてある女性雑誌に記事を書いたりしていた。
で、鈴木その子さんの取材に行っていた時のことだ。
美白の女王・鈴木その子さんもお亡くなりになった…。
いい人だったが。
私はとてもよくしてもらって指輪までもらった。
それはともかくとして、その取材に同行していた編集者が、あした西野流呼吸法というところを取材してくれないかと言うのだ。
取材に行く予定だった人がご家族の不幸かなにかで急に行かれなくなったという。
で、その西野流呼吸法というのは、西野さんという気功師みたいな人が「気」で人を飛ばすようなことをやっていて、経済界の大物や各界の著名人などもいっぱい通っているという。
その西野さんを取材してくれないかと言うのである。

え~、「気」で人を飛ばすおじさん?
やだー、いかにも怪しそうじゃないですか。
と私が言うと、
とにかく行く予定だった人間が行けなくなってしまったので、頼むから何とかして行ってほしいとおっしゃる。

しかたないなぁ…。
ということで、翌日、渋谷にある西野流呼吸法の道場に足を運んだわけだ。

道場といっても、地下一階から地上7階くらいまであるビル。
そこで、その西野流呼吸法とやらをやっているらしい。
まず実際の稽古の様子を見学してから取材をしてくれと言われた。

実際の稽古の様子は……

驚くべきものだった。
とにかくものすごい人数の人がいて、こどもからかなりご高齢の方まで老若男女が基本の体操をやっている。
そしてその後「対気」といって指導員と「気」を交流するのをやるのだが、交流しているうちに参加者のほうは「気」でうしろのマットに飛ばされる。
それがとにかく、ものすごく楽しそうなのだ。

そして西野皓三氏が登場。
西野氏が、参加しているひとりひとりと「対気」をしていくのだが、かなりご高齢の女性が西野氏に後ろのマットに飛ばされて「きゃ~、先生~」とか叫びながらほっぺたを上気させている。

すごい…。
これはなんだ。
なんてラディカルな平等主義なのか、と思ってしまった。

よく「お年よりをだいじにしましょう」とか言うが、だいじにするといって隔離して生きることの歓びを奪ってしまうことが多い中にあって、ここは歳をとっていたって子どもだって性別だって肩書きだってそんなものは一切関係なくて、みんな自分なりのやり方で楽しんでいる。

「気」を受けてなぜかくるくる回りだす人もいれば、ころげまわる人もいる。
人によってからだの反応がぜんぶ違っている。
とにかくそれがすごいなと思った。

そのあと会った西野皓三氏は、なんてキュートで天真爛漫な人だろうと思った。
1926年生まれだから、当時すでに70歳前くらいだったかと思うのだが、ものすごく派手な背広を着て出ていらっしゃった。青年みたいな印象を受けた。

その時取材した話の中で一番印象に残っている西野氏の言葉は、「ラジオ体操みたいにみんなが同じ動きをやるのは不自然。ひとりひとりみんな違っているからすばらしいんだ」というような言葉。だいぶ前のことだから、多少違っているかもしれないけど。

この取材をきっかけに西野流呼吸法に通い始めた。
それと同時に「気」だとか、目に見えない世界だとかに興味を持つようになり、オルタナティブ・メディスンだとかヒーリングだとかの取材を始めるようになったわけである。

西野皓三氏のことは、一番最初の取材を含めて全部で3回も取材させていただいた。
西野塾に通っている人からは、贅沢だと叱られそうだが。
                                                                   

そうやって西野塾に通い始めたわけであるが、ひとつのことを掘り下げて追求するよりいろいろなことに興味をもって探索するタイプの私は1年くらいで西野流をやめてしまい、そのあと太極拳をやったり気功をやったり色々な健康法などを、取材を兼ねて試してみる方に向かっていった。

いろいろと見て歩いたのだが、10年経った今、やっぱり自分には西野流呼吸法が一番あっていると納得できて、それでまた再開し始めたわけである。

10年ぶりくらいに行ったのだが西野氏は相変わらずご健在で、私の記事もまだ道場のなかに貼ってくれてあって、そのことが嬉しかった。

                                                            
西野流が自分に一番あっていると思うのは、「こうあるべき」というのがあまりないということ。
もちろん基本の型はあるけれども、無理をしないで、楽しくのびのびと心地よく、自分らしくやっていればいいというのが、私には合っている。
やっている人達が本当にいきいきとしていて、とにかく楽しそうだしね。
指導員の人達も、みんないい感じなんだよなぁ。
無理しないで楽しみながらやってらっしゃる。

いくつか試した気功法や太極拳の中には、練習で着るウェアのことまでうるさく言われたり、ちょっとでも物音を立てたらだめだと言われたり、あるいは無理やりストレッチさせられて足を痛めたこともあった。
来ている人も、がんばらなきゃとか努力しなきゃとか、資格をとろうとか思っている人が多かったりして、そういう場だと私は逆にとても疲れてしまうし、自分には向いていないと思う。
非努力型の自分は、むずかしい型はとても覚える気になれないし…。

でも西野流の場合は、自分らしく自分のペースで、純粋に楽しむためだけに呼吸法をすることができる。覚えることも特にないし。そして実際にすごく楽しいし。
エネルギーを全開にできる場って、他になかなか、ない。
西野流では、誰に遠慮することもなく、自分らしいエネルギーを全開にしていいから、そのことがすごく楽しいのだ。

最近は、後ろに飛ばされるとき、我知らず「ハッハッハッ」とでかい声で笑っている。
(よっぽど身体が喜んでいるんだろうな。)
そのうちに私も、他の方々のように走り出すだろう…。

                                                   
ただ、これも向き不向きがあるのかなとは思っているが。
オルタナティブ・メディスンの記事を書いていた時には、しばしば人から、「一番いいのはどういう健康法ですか。どういうヒーラーがいいですか。いいところを教えてください」などと聞かれたものだ。

だが、私にとっていいところが、他の人にとってもいいとは限らない。
万能なものはないし、どういうメソッドにも長所と短所はある。
(万能であると謳っているところは疑った方がいい。)
なので、自分にあっていると思えば他の人がどう言おうが続ければいいのだし、自分にあわないと思えば無理して続けないほうがいいと思う。

こういうものは、いろいろな人がいろいろなことを言う。
まやかしだとか、あやしいとか。
そういう言葉に振り回されずに、自分の目で確かめて、自分にとっていいものを探していくしか仕方ないような気がする。

だけど実際にあやしいところもあるかもしれないので、多額の金を要求するとか、何かが憑いているとか言って不安にさせるとか、無理をさせるとか、自分が治してあげるとかいう傲慢な言い方をしてくるところは注意した方がいいとは思うが。

まぁ、私自身も、「気」で人を飛ばすなんてどう考えてもあやしいと疑っていた人間のひとりなのだが。

                                                         
それにしても、世の中変わったなと思う。
普段は雑誌とかはほとんど読まないのだが、先日病院の待合室で女性誌をぱらぱらめくっていたら、タレントやモデルがみんなあたかもファッションのようにヨガや気功をやっているではないか。

私が10年位前に気功だとかなんだとか言っていたときには、「気」があるなんてなぜ言える?証明してみろ!とけんかをふっかけられるほど、そういうものに対する世間一般の認知度は低かったのだが。
ヨガもオウム事件があったために、あぶないという印象だったのに、いつのまにこんなにファッショナブルなアイテムになっていたんだ!?

最近、江原啓之とかがテレビでオーラがとか過去生がとか守護霊がとか言っているのを見て、おいおいこんなことテレビでまじめに言ってだいじょうぶなのか?と思ったのだが、周囲の反応はすこぶるいいようだ。

私がかつてスピリチュアル・ヒーリングの勉強をしていたときには、大学時代の友人などから思いっきりあやしがられたのに。
(あれで友人がずいぶん去っていったっけ。)

時代は変わるもんだなぁ…。

                                   

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2006年3月21日 (火)

伊豆温泉旅館宿泊券が当たって、伊豆・箱根の旅をしてきた

3月19・20日と、伊豆→箱根の旅をしてきた。
なぜ行ったかというと、昨年浄水器を購入し添付されていたアンケート葉書に記入して投函したら、なんと!伊豆の温泉旅館宿泊券(二人分)が当たったのだ!!
私の人生初の快挙である。

そんなわけで、夫と一緒に伊豆の温泉宿に一泊した。
せっかく行くのだから、ついでに箱根かどこかにもう一泊しようかどうか随分と迷った。
しかし、我が家には老犬2匹がいる。
この2匹を飼い始めてから私たちは長期の旅行ができなくなった。

飼い始めて間もない頃、犬を獣医さんに預けて、夫と一緒に一週間くらい海外旅行したことがある。
そうしたら、男の子犬のほうは獣医さんのところのケージから出たがって、頭をケージにこすりつけてすりむけるほど寂しがったらしい。
一方女の子犬のほうは、海外から戻ってきて抱き上げたら肩まで駆け上がってきた。よっぽど怖くて寂しかったのだろう。
たぶん、捨てられてしまうと勘違いするのだと思う。
短い旅行でも獣医さんに預けて連れ帰った後は、ストレスですごい下痢になってしまい家中がたいへんなことになる。

そんなわけで旅行に行くことがなかなかできない。
なので、今回も結局一泊するだけにして、帰りに箱根に行って遊んでそのまま帰宅することにした。

しかし一泊だとしても、犬のストレスと犬のストレスを見ている我々のストレスときたらたいへんなものだ。
獣医さんに預けると(もう何回も預けているのだから、少しは慣れてくれてもよさそうなものなのに)この世の終わりかと思うような哀れな声を出して、キューンキューンと鳴く。そして訴えかけるような目をして見ている。
その声を聞きその姿を見ると、私の心は千々に乱れるのだ。
ごめんよ、ごめんよ。獣医さんはいい人だから安心して、と心の中でつぶやきながら旅に向かった。
(しかし、旅の間中、気が気でなかった。)

当選で当たった旅館なのでたいしたことはないのだろうと思っていたのだが、予想に反して伊豆の宿はいい宿だった。宿自体はひなびた温泉宿という感じでもなく、団体客も来るような宿なのだが、私たちの泊まった部屋はたぶん宿の中で一番いい部屋。
部屋からは富士山が見えた!
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露天風呂もけっこういい。食事も工夫をこらしてあった。

宿泊食事ともに無料なので、思わず酒をいっぱいのみ(もちろん有料)、アロマオイルのリフレクソロジーまでやっちゃった(もちろん有料)。
リフレクソロジーの施術者は腕がよかった。使ったオイルはローズマリー。
私はオルタナティブ・メディスンの記事を書いていたので、ありとあらゆるボディワークやヒーリングなどを体験している。
ヒーリング系やスピリチュアル系のボディワーカーはいろいろなエネルギーを流してくることがあり、自分にはそれが疲れる。一方、温泉などで施術をしている人は仕事に疲れていることが多く、逆にこっちがケアしてあげたくなることもたびたび。
だが今回の施術者の方は非常に的確なワークをし、しかも仕事を楽しみながらやっていらっしゃる。
聞けば、鍼灸の資格を持っているとのこと。ライター魂に火がつき、終わった後いろいろと取材してしまった。
アロマオイルやフラワーエッセンスについても書きたいのだけれども、書き出すと長くなるから、また別の機会にする。

翌日はいざ箱根へ。
なぜ箱根かというと、箱根神社へ行ってみたかったのだ。
箱根ってけっこうパワースポットなんじゃないかな、と、そんな感じがあった。

そしてどうせ箱根へ行くなら、強羅花壇で食事をしようということになった。
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強羅花壇は、宿泊したらとんでもなく高いのだけれども、ランチで懐石料理を食べるくらいなら手が出る。(それでもけっこう高かったけどね。)
強羅花壇はやはり素晴らしかった。
建造物と熟練したサービスと絵のように美しい食事。
食後に強羅花壇の本館でお茶を飲んだのだが、なんてすがすがしい空間なのだろう。
香がたきこめられていて、静かで、ひろがりのある空間。
細部にまで心配りがされていて、この宿をつくった人や働いている人たちの並々ならぬ愛が感じられる。
でも泊まると死ぬほど高いので、お茶を呑んで雰囲気だけ堪能する私たちだった。

その後、すぐ近くで陶芸体験。
P3200030
商売熱心なスタッフはいくつも作らせたいのか、やたら手伝ってくれる。
ほっといてくれ~。下手でもいいから自分で全部やりたいのだ~と心の中で叫ぶ私。
でも結局、夫も私も4つずつ作品をつくり、3つずつ購入。(値段は体験料金込みでばか高かった。)

最後に箱根神社へ。
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どうして私は、山岳信仰とゆかりのある神社に惹きつけられてしまうのだろう。
ここもまたそういう神社だった。
かつてバーバラ・ブレナンというヒーラーが来日してこの神社を参拝した時、境内の木に「からす天狗」がとまっているのを見たという。
社(やしろ)に向かうまでの道は大きな木々で日陰になっていてちょっとこわい雰囲気もあったが、境内はすごくあかるくてなんだか懐かしいあったかい感じ。
こどもの頃よく遊んでいた神社の境内っていうような感覚だった。
境内までの階段を登りきったところから振り向くと、階段の下のほうに湖が見える。
湖の水面がキラキラと光を反射させているのが、鳥居の間に見える。
子どもたちが階段を駆け下りている。
切り取られた青い水面の方へ。

美しくて、懐かしい。
そんな場所だった。
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そんなわけで、昨日の夜遅くに帰宅し、きょうやっと愛犬2匹のお迎えへ。
またもやこの世の終わりかと思うような声を出して、さびしかったんだぞ~と訴えてきた。
だからきょうは犬といっしょにずっと過ごした。
ほっとしたのか、いびきをかいて寝る犬たちだった。

犬の宿泊代金は一泊3千円で二泊×二匹なので、1万2千円也。
それに犬のシャンプー代金。(そのまま連れて帰ると、他の犬のノミまで一緒に連れてきちゃうから。)
伊豆の宿での酒代、リフレクソロジー、強羅花壇の懐石料理、陶芸体験、高速料金代…と、結局すごい出費。

やっぱり、ただほど高いものはない。

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2006年3月 8日 (水)

疲れている理由

疲れているのは、ブログ疲れもあるのだが、ほかの理由もある。
たぶん、東洋医学でいう「瞑眩(めんげん)」みたいなものが起こっているのだろう。

「瞑眩(めんげん)」とは、体の中に溜まっていた毒素が体の外に出ようと動き出した現象、いわゆる好転反応のこと。
鍼灸治療をしたり漢方薬を飲んだりすると、こういう「毒出し」現象が生じ、それを経過して健康に向かっていくと言われている。
つまり、からだにもともと備わっていた自然治癒力が働き出して、自分で自分の悪い部分を外に出そうとするというわけだ。

この「めんげん」は、健康法やセラピーなどをやる過程でも起こってくるのではないかと私は思っている。

私の場合は、昨年12月から以前やっていた呼吸法を再開したということと、ここ数日間のうちに気功師の「気」を受ける機会があったり、霊能力のある僧侶の方とお会いしたりする機会が続いたということがあって、いわゆる「めんげん」みたいな状態が生じているのだと思う。

私は「気」に敏感な方だ。いい意味でも悪い意味でも。
人の「気」にすぐにあてられてしまうので、大勢の人と一緒に過ごしたりすると、そのあとかなりぐったりしてしまうことも多い。

でも、今回の場合は、気を鍛錬した方々の「気」に感応して浄化が始まったという感じかな…。
そのことによって、溜め込んでいた疲れが今どっとでている。

霊能力のある僧侶の方とお話している時、急に呼吸が深くなってからだの芯がリラックスする感じがした。話しているだけで何かが浄化されるということはあるんだな…。

その方の顔の右側の横のあたりで、一瞬、紫色の光がまたたくのが見えたけれども。

こういう風に浄化が起こっている時には、自然の中でゆっくりするのが一番いい。
人間の「気」と違って、自然のエネルギーはおだやかであまり余計なものがなくて、ゆったりと自分自身にもどっていけるから。

と、言いつつ、そういう時間もないし、またブログに向かっている私なのであった…。

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